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【 花散る夢、現に咲く花 】 |
次の世代が為に花は咲く。
自らの子を成し、血脈を受け継いでいく為に。
では人が咲かせる花は何なのだろう?
心騒がせ、眼をねじ伏せ、気を狂わせ、言葉を無くさせ。
―――君に咲く花は何の為?
「もう…桜も終わりなのだな」
一人呟き、廊下の窓から桜並木を見る。
桜並木と言っても、申し訳程度に植えられた木が数本あるだけの光景だ。
桜の絨毯を作ることの出来る、灰色の道に敷き詰める程にはない数。
しかし殺風景な基地内にあっては、逆にその少なさが鮮やかに目にとまる。
太陽に照らされて薄桃の花びらは白さを増す。
自ら輝きを放つかのように。
「…もう、か…」
早いものだと思う。
訪れた春は急ぎ足を生業とするのか。
寒く厳しい冬の間、あんなにも待ち望んでいた春はあっという間に通り過ぎてゆく。
桜が美しいと思える時間はごく僅かなのだ。
すぐに太陽が大地を焦がす季節、夏がやってくる。
桜が散る情景を見ては、胸に沸き上がる不思議な感情。
感傷、というのだろうか。
この胸の内に在るのは。
「すみません、エルザム少佐―――」
「ああ」
「整備の方終わりましたので、格納庫の方へお願いします」
「了解した」
名を呼ばれ、そう返事をする頃には瞳に先程までの色はない。
迷いはなく感傷に惑わされることもない。
戦場に生きる者の瞳。
折しも同じ頃、演習場の傍ら黙々と鍛錬を続ける男がいた。
機体の整備も終わり、問題の会議も終了した。
最近は出撃もなく、待機状態の身体が鈍っていてはいざというときに困る。
己の心の為に。己の身体の為に。
構えた竹刀を振り下ろし続ける。
(―――)
ひらひらと空中を泳ぐように落ちてくる桜の花びら。
彼の傍らにある桜の木もまた、満開の時期を過ぎていた。
その時、一陣の強い風がその木の枝を揺らし、大量の花を散らせていった。
「…散るのか…」
分かってはいるのだが思わず声に出た想い。
自然の定め。
咲いたものは散る運命にある。
散るだけで終わるのではなく、大きな流れの一つとなって。
また次の巡りに新たな咲き誇りを見せる。
それを知っていても散ることに心は悲しみを覚える。
だからといって常に咲くのも狂った話だ。
「…未熟、だな…」
完璧を求めるつもりはないが、己の心の甘さは捨てきれない。
人である限り、その想いは間違いではないと思う。
もう少しばかり強くありたいと願うだけで。
人は、強くなれるだろうか。
「……」
見上げた桜の花びらは、通り過ぎた風に梢を揺らした。
『気をつけてね』
―――何に?
『桜には、気をつけて』
―――何故? あんなにも綺麗なのに。
指差す向こうに青白く浮かび上がる桜の木。
それ以外はない。
周り一面は漆黒の闇。
更に際立つ桜の白さ。
『だって、桜は』
―――桜は?
『人を連れて行ってしまうから』
―――人、を?
『うん、大切な人。貴方の、君の、大切な』
突然桜の下に現れた人影。
よく見知った人物が、そこに立っている。
慈しむように太い幹に手をかけ、木を見上げる。
しばらく桜を眺めた後、根本に腰掛けた。
幻想的な光景は、更にその人物に心寄せる風景になる。
それに近づこうとして声が囁いた。
『ほら、ご覧よ』
ざあ……っ
強く風が吹いて、花びらが舞う。
白く青白く、どこからかの光を反射して。
目も開けられぬ程の散り方に踏み出した足はそこで止まる。
そしてもう一度目を開けると。
『ね、連れて行ってしまった』
自らの足下、木の根本には散った花びらが踏みしめられる程在る。
しかし先程までそこにいた筈の彼は。
腰掛けて桜を眺めていた、彼が。
姿無く。
『大切な人、もう、戻ってこない―――』
―――!!
そんな筈は無い、と叫ぼうとした。
叫ぼうとした言葉は、勢いよく開けられた瞳と、硬直した身体に止められた。
現実に戻ってきたのだという想いと、さっきのは夢だったのかと考える頭。
出かかった言葉は一度胸の奥にしまわれ、奥で溶けていく。
心の一部になるようにゆっくりと。
「……う…」
側頭部に走る痛みが何なのかは説明がつかない。
頭痛をするような病を患ってはいない。
何処かにぶつけたのかと考えてみても、寝ている間のことなど知る由もない。
浅く眠った後遺症が一番の理由だろうとしておいて、目をつぶる。
「……」
先程の夢が瞼の裏に再生され、出かかった言葉がまた形になってくる。
それを払いのけ、瞼の裏の再生を止める。
(…馬鹿なことを…)
と、思ってしまう理由はよく分からない。
下手をすれば、桜の眺めすぎだと上司に怒られるだろう。
感傷的な心を持って生きるのは厳しい。
夢見が悪いなどという理由はもってのほかだ。
水を飲もうとして台所に立てば、風が頬を撫でた。
視線を巡らせると、ほんの少し開いた窓。
その隙間から風が流れている。
(…いつから……)
窓の開け閉めなど、気をかけたこともない。
確かに戸締まりの確認はよくするのだが、最近窓など開けたかどうか。
しかも、ほんの数センチの隙間。
わざと閉め忘れたような感覚。
「…?」
窓にしっかりと鍵を閉めようとして、見えた人影。
「―――!!」
考えるより早く、足は動いていた。
≪銀糸の月≫
≪金糸の太陽≫
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