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はじめ通信10−0719
シリーズ 堀船水害はなぜ再発したのか?!・・その1

今回から何度かに渡り、堀船水害事故の原因究明や被害補償、今後の対策についてシリーズでレポートします。

●石神井川流域で最大の被害が集中
 7月5日夜、まさに参議院選挙の終盤に入ったその日に、集中豪雨による石神井川の5年ぶりの溢水被害が堀船から豊島、王子にかけて発生しました。もちろん水害の被害は、同じ石神井川ぞいの滝野川や板橋方面でも発生し、他にも北区内で志茂や赤羽駅周辺などにも広がりましたが、堀船2丁目の溝田橋および日本たばこ倉庫付近からの溢水による被害が最も深刻であり、マスコミの報道もここに集中しました。

●7月14日の調査で分かったこと
 私は選挙期間中も何度か候補者カーで通りかかり、お見舞いのアナウンスをしましたが、マスコミが首都高速鰍フ言い分をほとんど鵜呑みにして「自然災害」としてこれを片付けようとしていることに憤りとともに強い疑問を感じ、7月14日に、山崎たいこ区議、福島宏紀区議とともに現地をたずね、被災者の方々のお話を聞いてきました。

●マンションや高齢世帯の被害は深刻
 それによると、やはり日本たばこ倉庫うらの約70メートルにわたる護岸を超えて最初の溢水がおきており、その直撃を受けた倉庫のタバコの被害とともに、そのすぐ向こう側に建てられていたマンションが次にその水害の直撃を受けていました。
そしてマンション1階のピロティーを突き抜けて裏の児童遊園から明治通りまで、竜巻の跡のように鉄のゲートやブロック塀や、そのうらの児童遊園の金網フェンスなどが連続的になぎ倒されている姿に圧倒されました。
 マンション1階のお宅は、田舎に帰って留守の間に被害を受け、締め切った玄関ドアの郵便受けから泥水が室内に腰の深さまで入り込んでいたとのこと。想像を絶する状況だったと思います。

●最大の疑問は、何故この70メートルの護岸部分から水が溢れ出したのかです
 <写真1 溢水した護岸部分>
 写真1のように、この70メートルほどの護岸部分には、白い土嚢の袋が高さ30センチほどずっと積まれていました。これを見て奇妙に感じたのは私だけでないと思います。
 これはもちろん水がごうごうと溢れていた時に積むのは不可能ですから水がひいた後から載せたと思われます。しかし次の水害に備えてというなら、この程度ではどうにもならないのは明らかです。何か「対策をやっている」というアリバイ的なものかと思っていましたが、その後、土嚢が積まれた時期が、東京都の幹部と国の政務官が現地を調査しに来た前後だったという情報があり、私は5年前にも、崩壊した護岸のH型鋼をさっと片付けてしまうなど自然災害を装う様ざまな動きがあったことを思い出し、土嚢が何かを隠すために置かれたのではないかとにらみました。

●7月19日再調査でさらに詳細を調べて
 区議団の福島、山崎に加え、本田、のの山、さがらの各区議とともに、良心的な専門家の建築ネットワークの小松田さんを招き、私も同行し再度調査に回りました。
 私はこの調査で、5年前の水害箇所を修理した後の護岸の高さと、今回溢水した箇所の高さの比較を試みました。ある場所を直せば、その先が弱くなることは往々にしてありうるからです。しかし小松田さんの説明で、水流が激しいときは上流と下流でかなりの水位の差が生じるので、単純に上流より護岸が低いことが溢水の原因と断定はしにくいとのことでした。

●溝田橋上流は7メートル以上
 実際に護岸の高さは、王子駅の暗渠からの出口付近でAP.7・5メートルほど。(APとは、荒川岩渕水門付近の平均水位を基準にした高さだということです)
 少し下流の、前回決壊した部分でも7メートルほどありました。あとで図面を確認したところ、前回修理部分は、図面では高さ6・3メートルと設計されていましたが、水害後、護岸の材料に余った鋼材を使っていたずさんさとともに、対岸と比較し数十センチ低かったことも批判されたため、修理の際に10〜15センチほどさらに嵩上げをした跡も残っていました。つまりこの部分は設計以上に補強されたことになります。

● もう一つ注目点は、護岸管理責任者が上流と下流で異なる点です。
                               <写真2 都(右)と首都高(左)の護岸の境目>
 王子駅や高速道路出口付近から溝田橋、さらにたばこ倉庫付近までの護岸整備は、高速道路工事と並行させるため、本来の河川管理者・東京都から首都高速鰍ノ全面委任しています。前回事故の際、私はこれが、都の監督がゆきとどかず5年前の護岸手抜き工事を招く一因になったことを指摘しました。
 ところがもっと下流の新柳橋付近の護岸は、東京都が直接管理し、現在耐震護岸整備工事と川のすぐわきに北区の第2葬祭場をつくる準備工事が行われています。
<写真3 古い護岸の上に鋼材板を載せ始めた部分>

●下流より護岸が低かった?!
 写真2のように、都の管理部分と首都高の管理部分は、護岸の高さは同じですが、境目がはっきり分かります。この高さはAP.5・8メートルで、これが50ミリ対応でこの付近の護岸改修が終わったあとの最終的な高さになるとのことでした。
 したがって上流の王子駅付近が7・5メートル、前回水害場所が6・3メートル(実際は修理後約7メートル)、今回溢水したたばこ倉庫うらを過ぎて、隅田川出口付近の都の管理場所が5・8メートルで、たしかに上流から水位の傾斜がかかっているとしても、たばこ倉庫の裏側の護岸は、より下流の5・8メートルより高くなければならないはずですが、実際はそれより低かったという衝撃の事実が分かったのです。

●都の管理と首都高管理の護岸の境目から数十メートル上流に、この護岸からたばこ倉庫のうらに続く古い護岸との継ぎ目があり、その継ぎ目から古い護岸の高さをあわせるための、高さ20センチほどのH型鋼が護岸のコンクリート上に載っていました。(写真3)
 そのH型鋼が途中から例の土嚢に変わって70メートルほど続いているのが、溢水部分なのです。
 したがって、土嚢が無ければこの部分の護岸の高さは、5・6メートル程度だったことは明らかです。
<写真4 鋼材と土嚢がつながっているところ> 

●土嚢を積んだ目的は・・
 私はH型鋼と土嚢の境目を調べてみたところH型鋼は土嚢の下でぷっつり切れており、それに続く土嚢の下にはコンクリートの護岸があるだけでした。(写真4)
 土嚢は、下流側から護岸の上に載せられていたH型鋼が、たばこ倉庫の裏側でぷっつり切れて無くなり、その上流の護岸がより低いことが誰の目にも明らかになるのを避ける役割をもっていたことになります。

●溢水断面積は5年前と同じ!?
 溝田橋の手前までは約7メートルあった護岸が、橋のすぐ下流でいきなり5・6メートルに下がっていたとともに、その部分の高さが、さらに下流の5・8メートルの護岸より低かったという事実は、その差がわずか20センチでも非常に重大だといわざるを得ません。5年前は約1メートルの高さの鋼材が十数メートルの長さでばったり倒れましたが、今回は20センチの高低差とはいえ、距離が70メートルにわたるとすれば、溢水の断面積はほぼ同じになるのですから。

●以上の事実は、たばこ倉庫の裏側で最も膨大な水量の溢水がおき、そこから濁流が一帯に広がっていった被害の主たる要因がここにあること、しかも単なる自然災害では片付けられないことを如実に物語っているといえるでしょう。

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