光州民主化運動と現在 その3
市民が眠る国立5・18墓地と、収容所跡
全羅南道庁舎に続いて、金容哲(キム・ヨンチェル)さんの案内で、私たちは「国立5・18墓地」を訪れました。
●戒厳軍によって殺害された160人のお墓。墓碑には名前・生年月日・死亡日が記されている。
また墓碑の隣には、犠牲者の写真が飾られている。
●犠牲者の中には、女性も多い。
●この女性は1965年生まれ。当時15歳だった。
●犠牲者の中には、遺体が見つかっていない人もいる。
そのために墓碑のみが建てられている。
金容哲(キム・ヨンチェル)さんは、幾人かの犠牲者について、殺されたときの状況を説明してくれました。
●この墓碑は、キム・ギョンチョルです。光州で最初に殺された人です。この人は障害者でした。聞くことも話すこともできませんでした。彼には娘がいました。1歳のお祝いの帰りに、戒厳軍に捕まりました。戒厳軍は捕まえた学生や市民に、番号を付けてトラックに載せました。しかし彼はろうあ者でしたから、戒厳軍の質問に答えることができませんでした。そこで棍棒で殴られました。その後、病院で亡くなりました。19日です。普通は、人は死ぬと体が硬くなります。しかしこの人の死体を棺に入れる時には、殴られていたために骨があちこちが折れていて、体が曲がっていました。
墓碑の後ろには、娘さんの書いた言葉が彫られています。「お父さんがいつでも私と一緒にいると信じています。お父さんに会いたいと思っていますが、会うことができません。一度でいいから、お父さんの顔を見て、名前を呼んでみたいのです。しかしできません。」という言葉です。
●これは高校生の墓碑です。映画の中では主人公の弟のモチーフになった人です。
●この人は女子高生です。21日の発砲で多くの人が亡くなりましたが、けが人もたくさん出ました。けが人には輸血が必要でした。そこで市民軍はジープに乗り、市民に献血を呼びかけました。この女子高生は病院で献血して、その帰りに戒厳軍に撃たれて殺されました。他の人を助けようとしたことで殺されたのです。
●この女性も戒厳軍に殺されました。彼女の両親は娘が殺されたことで、戒厳軍との戦いに参加しました。その時の怪我が原因で、お父さんは82年に、お母さんは88年に亡くなりました。いまは3人が同じ墓地に埋葬されています。本当に残酷なことです。
●この人は妊婦さんでした。教師をしている夫の帰りが遅いので、心配して迎えに行ったところ、戒厳軍に撃たれて即死しました。市民の医師たちは、お腹の子どもはなんとか助けようと努力しましたが、子ども死んでしまいました。
●ユン・サンウォンの墓碑です。隣には女性の名前が刻まれています。2人は、霊魂結婚式をあげました。その時に作った歌が、先ほど流れた「イムのための行進曲」です。イムとは「あなた」という意味です。彼は学歴を隠して職場に入り、労働運動を行いました。その後、民主化運動に参加し、27日に亡くなりました。
●この墓碑には写真がありません。21日に殺されました。10歳でした。この子は前日に、母親から新しい靴を買ってもらいました。戒厳軍が銃を撃つ音を聞いて逃げたのですが、その時に靴が脱げてしまいました。その靴を取ろうとして、撃たれてしまったのです。戒厳軍は子どもさえ殺したのです。隣も子どもの墓碑です。
●向こう側の墓碑には、墓がありません。死体の見つからない人々の墓地です。
これだけ多くの市民が殺されましたが、まだ光州民主化運動は終わっていません。
第1に真相究明ができていません。最初に誰の命令で発砲したのか不明です。
第2に、真相究明ができないから、責任者の処罰もできません。
第3に賠償の問題です。犠牲者は少額の補償しかもらっていません。
第4に名誉回復です。彼らの「暴徒」という汚名を晴らさなくてはいけません。
5番目は小規模な記念祭しかできないことです。これには予算上の問題もあります。
ここは戒厳軍に逮捕された人々が収容され、拷問を受け、軍事裁判にかけられた収容所です。以前は別の場所にあったのですが、再開発の一環として移築されました。
●軍の駐留地として使われていた場所に、全南北戒厳分署として設置された。
そこが、逮捕された市民の収容所になった。
●収容所の雑居房。本来は20人用の部屋に、200人以上が収容されていたそうだ。
●当時の状況を語る李健甲(イ・カンカ)さん。
起きているときはこのように足を組み、寝る時もこのまま横になったとのこと。
部屋の隅にあるトイレにいくと、自分の居場所が無くなってしまうほど多くの市民が詰め込まれていた。
●軍事法廷が開かれた部屋。
金容哲(キム・ヨンチェル)さんが、当時の状況を詳しく教えてくれた。
●この法廷には、弁護士席もあるが、弁護士が座ることはなかった。
●市民に対する拷問が行われた部屋。
●李健甲(イ・カンカ)さんは、予備軍の武器庫を襲撃して銃を手に入れた。
頭には、戒厳軍が発砲した銃弾がかすめた跡が残っている。死んでもおかしくない状況だったそうだ。
戒厳軍に捕まり、トラックで連れてこられた、蹴りまわされながら収容所にいれられた。