9時前にホテルフロントへと向かう。 昨夜のチェックインは、中庭側の小屋みたいなとこだったけど、それは単にフロントのある建物が閉まってただけで、 入口正面には、ちゃんとしたカウンターがあるフロント用の小さな建物がある。
そこには、白いワイシャツを着た白髪のおじさんが来ていた。 ホテルのスタッフから、タクシーの運転手だと言われ、あいさつをする。 昨夜、チェックインしたときのおじさんが「US$70」と言ってたけど、タクシーの運転手にもう一度確認。 「レオンまでの往復、いくら?」、「US$70」、交渉成立。

 助手席に乗り、タクシーのおじさんに、まず両替しに行きたいと言う。 と、おじさんが連れて行ったところは、どこかの通りの坂の上(だったよーな?)。 そこには、2〜3人ほど人が立っていた。おじさんが銀行と変わらないからと、私のUS$100札を1枚持って車を降りて行った。 そのうちの一人の人とやり取りして両替してきてくれた。確かにC$1,500ある。 たぶん、おじさんはここでいつも両替しているのだろう。

 マナグア(managua)は、マナグア湖(Lago de Managua)の 南側に位置していて、レオン(Leon)へ行くには、湖に沿って北西方向へと向かっていく。 レオンへと続く道路は一応舗装されているけど、舗装されているのはメイン道路だけ。 というか、土の上にアスファルトをただ乗っけただけって感じで、縁はジグザグで、妙に周りから道路が盛り上がってて変。 メイン道路以外はすべて土・・・まぁ、ありのままというか、自然のままの道。
車はそう多くなくて、道路サイドでは、馬を多く見かけた。 人が馬にまたがっていたり、馬が荷車を引いてたり・・・人の足としてまだまだ活躍しているみたい。 途中で、荷車に乗った少年たちが、馬を操っている姿を写真に撮りたかったんだけど、タイミング悪くて撮れなかった。

 と、タクシーのおじさんから「レオン・ビエホ(Leon Viejo)へ行ってみないか?」 と言われる。某ガイドブックにちょこっとだけ書いてあったけど、世界遺産に指定されているとのことで気には留めていた。
ただマナグア湖の北西端のメイン道路からちょっと入り込んで行った村の近くにあって、 自分で行くとなると、バス乗り換えやら歩きやらで大変なところらしい。 折角タクシーで来てることだし、おじさんが連れて行ってくれるんなら・・・この際、行かなきゃ損損!

 そのうちメイン道路から外れ、狭い脇道に入った。ほんのちょっとの間は舗装していたような? なんたって、行き先は世界遺産だからね。 しかーし、車とすれ違うことはなく、唯一すれ違ったと言えば、枝を山のように積んだ荷車を引く馬かな? 日本で言えば、いつの時代の光景だろう・・・明治?大正?昭和前半?などと思いを馳せつつ・・・。

 狭い土道を進んで行くと、家がポツポツ見えてきた。 プエルト・モモトンボ(Pto. Momotombo)村?平屋の木の家が並ぶ垣根の間の狭い道をぬって走っていると、 ちょっと開けた場所に出た。突き当たりの小屋の前で停まる。
どうやらレオン・ビエホ(Leon Viejo)の入口みたい。 ここで、入場料C$30(US$2)と、 写真を撮る場合は別料金としてC$25を支払う。 せっかくここまで来て写真撮らないのはもったいないし、併せて400円ちょっとなんで・・・。 ちなみにタクシーのおじさんは、案内ということで、支払わなくてよかったみたい。

 レオン・ビエホ(Leon Viejo)は、1524年にスペイン人によって造られた入植地の都市。 ”レオン・ビエホ”は”古いレオン”と直訳されるように、もともとこの地にレオンは建設されていたが、 1世紀も経たないうちに、モモトンボ(Momotombo)火山の噴火と地震で破壊され、今のレオンの地に都は移された。
のちに教会や住居跡が発掘され、メルセー教会の最大の祭壇の前で、レオンとグラナダの都市を築いたスペイン人 フランシスコ・フェルナンデス(Francisco Hernandez)と、 ニカラグアの最初の支配者となったスペイン人ペドラリアス・ダビラ(Pedrarias Davila)の遺体と墓が発見された。 2000年に世界遺産に登録されたが、遺跡はまだ住居などの遺構がわかる程度にしか復元されていない。
レオン・ビエホの遺跡 レオン・ビエホの遺跡 レオン・ビエホの遺跡
たぶん政治の中心的建物跡? 発掘中のところは屋根で覆われている。 たぶん教会跡?

レオン・ビエホの石像
レオン・ビエホ最盛期のときの先住民らしいんだけど、足元にはなぜか人の足に噛み付いている 犬が・・・。なんか、聞くところによると、犬は人を食べてたらしい・・・?
レオン・ビエホの遺跡 マラカスの木
住居跡だと言っていたような?遺構だけで、どこがどうだったのかはわからない。
それにしても、観光客も、発掘してそうな調査員も、誰もいない。 タクシーのおじさんが一緒について来なければ、また私一人の世界になってた・・・。
この丸っこい実が、落ちて十分乾燥したら(茶色く硬くなる)、穴を開け、中身を出して、 豆とかを入れ、取っ手で塞ぐ。硬くなった殻は彫刻したり、絵を描いたりして、手作りのマラカス完成。 くれぐれもパーカッションとかが使うキレイな形のマラカスを想像しないように。

モモトンボ火山 モモトンボ火山 マリビオス山脈
レオン・ビエホの遺跡から丘へ登ると、マナグア湖の北西部に位置するモモトンボ火山が 目の前にそびえる。右奥はたぶん、マナグア湖上のモモトンビート島の山(休火山)。 このモモトンボ火山の噴火で、レオン・ビエホは破壊されてしまった。 中腹から上がまだ草木に覆われてないのがわかるように、今もなお活火山らしい。 モモトンボ火山を始め、北西へと連なる火山地帯、マリビオス山脈(Cordillera de los Maribios)。 左側の山はたぶん、ピラス(Las Pilas)火山。


 再び入口の小屋へと戻り、すぐそばの売店らしき小屋で冷たいジュースを買う。C$3・・・20円ちょっとって安すぎない? それにしても、静かでのどか・・・都市だった頃は、ここも人で賑わっていたんだろうけど。
ちょっと休憩してから、レオンへと向かった。


   
マナグア&レオンTOP   ニカラグアTOP




タクシーのおじさん  レオン(Leon)の街へ着いたのは、昼過ぎ。タクシーおじさんオススメ(知り合い?)のレストランへ連れて行ってもらう。 カテドラル近くのレストラン、イタリアン・ピッツァ(ITALIAN PIZZA)。 広くてちょっと古めで、イタリアンっぽい感じではないんだけど、とっても感じのいいおじさんがいた。
タクシーのおじさんオススメのファヒータス・デ・ポジョ(Fajitas de Pollo)を2人とも注文。 鶏肉料理なんだけど、どんなんだったか?写真撮ってなかったので忘れてしまった・・・。 それと、水と食後のコーヒーも。私だけは、それプラス地元ビールBRAHVAを頼んで、全部でC$229(1,700円強)。 タクシーおじさんの分も払うことになったけど、まぁチップ代わりということで。

 余談ですが・・・ タクシーのおじさんの、内戦等の苦難を乗り越え刻まれただろう顔のシワが、とても味のある笑顔をつくり出しているように 感じていた。 ということで、テーブル向かいに座ったタクシーのおじさんを、ちょうどいい機会なのでBRAHVAビールとともに撮った。 なんか味のある笑顔でしょ?(右写真)

 ここで大まかに歴史紹介。
ニカラグア第二の都市レオン(Leon)は、レオン・ビエホが噴火と地震に破壊され、 この地に都を移してから1851年までの200年以上、首都として栄えた。
 その後、保守派のグラナダ、自由(革新)派のレオンとで内戦勃発。 それを機会に侵入してきた米国軍をバックに政権が次々と変わっていったものの、 1933年のアウグスト・セサル・サンディーノが指揮する祖国解放の戦いで、米国は軍撤退、やっと自由を勝ち取った。
それも束の間、サンディーノは国家警備隊隊長となったアナスタシオ・ガルシア・ソモサに秘密裡に処刑され、 その2年後にソモサ一族が政権を奪い取ってしまった。
 1961年にはサンディーノの理想を継承・発展させるため、青年グループが サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を結成し、 1972年に起こった大地震で世界中から寄せられた援助を着服、復旧事業独占、弾圧的軍政を行っていたソモサ一族に対して、 農民、労働者、企業家と組んで反ソモサ勢力が誕生した。 追い詰められたソモサ一族は1979年に逃亡し、米国へと亡命した。
 残された16億ドルの国家債務の再建のため、国家再建委員会が発足され、かなり成果を上げていた・・・が、 1981年ごろから、米国(レーガン大統領)が経済援助を停止し、なんと!反サンディニスタ勢力へ資金援助をし始めた。 それにより、旧ソモサ軍を主力とする反サンディニスタ武装組織(コントラ)が、 米国の支援を受け、ニカラグアへ侵入。
コントラとの戦いにより、ニカラグアでは3万人の死者、労働賃金9割低下、ほとんどの家庭では日に1度しか食事できないという 状況に陥ってしまった。 これによりサンディニスタは、1990年にコントラとの停戦条約を結んだ。祖国を思ってのこと。 なのにその後は、反サンディニスタの政権となり、米国、欧州、日本が援助を開始し、今に至っている。
 結局のところ、米国が内戦の後押しをし、祖国のために頑張ってた人たちをないがしろにしたのは許せるものではない。 と言うことで、私をはじめ反米の感情を持ってしまう人が多いのは、いた仕方ない? ちなみに中南米に来ている米国人も反米者が結構いるみたいだし・・・。

 レオンは、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の本拠地となっており、 今はソモサ将軍の撃たれた家を事務所として使っている。 それにしても、内戦中に”ゲリラ”として世界に名を馳せたサンディニスタだけど、 そう広めたのは米国じゃないかと思う・・・米国が支援したコントラの方が”ゲリラ”じゃない?
事務所傍には英雄記念館があり、革命に命を捧げたサンディニスタ戦士の写真などが 多数展示しているそう。 訪れてみたかったんだけど、タクシーのおじさんが内戦時代を思い出してつらいんじゃない?とか、おじさんが 反サンディニスタ派かも?とか、変に気を回してしまった私・・・行きたいと言えなかったなぁ。

 タクシーのおじさんに行きたいと言ったのは、教会。200年もの間、首都として宗教の中心でもあったので、 素晴らしいものが建てられているとのこと。
カルバリオ教会 カルバリオ教会壁面
中央の通りの突き当たりにあるカルバリオ教会(Iglesia el Calvario) 。左側の家の壁には弾痕が残っている。アップで見てみて。 カルバリオ教会の壁画彫刻がキレイ。アップで見てみて。
カルバリオ教会内
カルバリオ教会内部の天井の装飾もキレイ。

カルバリオ教会からの眺め
カルバリオ教会から見た眺め。これが、中央の通り。中央左奥に見えるのはカテドラル。
カテドラル 学校
1746年から約100年もの歳月を費やされて造られた中米最大規模の カテドラル(Catedral)。ニカラグアの国民的詩人ルベン・ダリオも ここで安らかに眠っている。 カテドラルの傍にある学校。どうりでカテドラル前の中央公園では たくさんの制服を着た生徒(高校生ぐらい?)を見かけた。

中央公園
カテドラル前の中央公園のサイドにあった建物。教会か修道院かそんな感じ。 公園内は屋台とかあって賑わっていた。
レオン 石像
”レオン”とは”ライオン”の意。レオンの象徴がカテドラルの前に2頭対でいた。 上写真中をアップすれば、ライオンの位置がわかる。
それにしても表情が素晴らしい!
中央公園にそびえていた石像。”MAXIMO JEREZ”って書いてあったけど?人の名前? 日本語に直訳すれば”最高のシェリー酒”って意なんだけど・・・?

レコレクシオン教会
1701年に建立されたレコレクシオン教会(Iglesia de la Recoleccion) 。外壁装飾がすばらしいんだけど・・・全景写真撮るには電線が邪魔!


 教会はまだ他に3〜4つあったのだけど、タクシーのおじさんオススメしか見れなかった。 夕方までにマナグアに帰るということで、あまりゆっくり散策できずにレオンを出発。
レオンには、まる一日滞在して、教会散策するのもいいかも? ゲリラの本拠地と言えども、首都マナグアより安全な街と感じたんだけど?


 
次へ

 マナグア&レオンTOP   ニカラグアTOP