小さなスーパーだったけど、結構時間つぶしてしまった。
一旦、ホテルに荷物を置いてから散策しようと、再びホテルに向かって歩いていく。
と、向こうからやってくる人に見覚えが・・・。
おっ、あのしつこいガイド(6/11散策編)だ。
んで、無視するわけにもいかず(?)、自分から声かけてしまった・・・。
と、案の定、案内をかって出てくれた。
払うお金ないと言ってるのに、ほんとにタダでいいんかなぁ?とりあえず、荷物を部屋に置いてくる。
まず、ホテル傍のコロンブス公園(Parque Colon)へ行く(左写真)。
公園中央には、新大陸を指差しているコロンブスの像がある。
そして、公園を取り囲むように古い建物があり、ベンチではたくさんの人が休憩していた。
それから、連れて行かれたところは、コロンブス公園横の
大聖堂(Cathedral Primada de America)(右写真)。
1540年、新大陸で一番最初にできた大聖堂だそう。
1506年にこの世を去ったコロンブスの
遺体は、遺言(彼が建設した新大陸最初の町、サント・ドミンゴに骨を埋める・・・?)どおり
にスペインからこの大聖堂に移され、安置されていた。
が、1992年に新しく建てられた対岸のコロンブス記念灯台
(El Faro a Colon)へと移され、現在はそこに眠っている。
大聖堂内の高い天井は、白いサンゴ石で出来ていて、きれいだった(右写真)。
ガイドブックには、入場料がいると書いてあったけど、払った記憶ない・・・?
ちなみにここでは、ラフな格好(ショートパンツなど)では
見学できないらしい。TシャツにジーンズはOK・・・だったよ!
大聖堂を出て、通りを歩いて行くと、突き当たりに
オサマ砦(Fortaleza Ozama)がある。
新大陸初の軍事建築物で、海賊からサント・ドミンゴを守るため、
1507年に当時の総督ニコラス・デ・オバンドの命令で造られたそう。
要塞で囲まれた旧市街の中でも、中心となる要塞。オサマ川を見下ろす位置には
見張りのための敬礼の塔(Torre del Homenaje)があり、眺めがいいらしい・・・。
ここでも、入場料がいると書いてあったけど、払った記憶ない・・・?
だから、ガイドの人、これ以上(写真撮ったところ)先に行かなかったのかな?
このホテルの前にドミニカ共和国の歴代の総督や国民的英雄が
眠っているパンテオン(Panteon Nacional)がある。
ちなみに写真の右側の要塞出入り口を抜けると、車通りの多いプエルト通り(Av.del Puerto)に出る。
そこを渡れば、サント・ドミンゴ港の船着場。
サント・ドミンゴ(旧市街)TOP
オサマ砦を出て、ラス・ダマス通り(Calle las Damas)を歩く(右写真)。
この通りには、総督ニコラス・デ・オバンドの私邸があり、今は小さなホテル
(Hostal Palacio Nicolas de Ovando)となっている。
本当は、このホテルに泊まりたかったけど(歴史ある建物なのに、宿泊代がUS$50〜60)、
現在、改装中で閉鎖されていた。残念・・・。
1714年にイエズス会の教会として建てられたらしいが、
1955年にパンテオンとなった。霊廟を守る銃を持った衛兵が、厳粛なムードをかもし出していた。
写真を撮ったけど、フラッシュなしで恐る恐る撮ったため、暗くてあまりよくわからなかった・・・。
そのままラス・ダマス通りを歩いていくと、右手の方がパーッと景色が広がる。
要塞防壁から、サント・ドミンゴ港が見下ろせる・・・って、ここ、昨日Juanと来たところだ
(6/11デート?編T)。
石碑のような日時計が建ってる。これまた、
1753年に造られた新大陸でもっとも古い日時計だそう(左写真)。
日時計のまん前には、
ラス・カサス・レアレス(王宮)博物館(Museo de Las Casas Reales)がある(右写真)。
1492年から1821年まで、歴代の総督が住んでいた官邸で、
現在は博物館となっている。
しかし、ガイドの彼は、中に連れていかなかったんで、中はどうだったとは書けません・・・。
今ガイドブック読んでみると、中に入ってみる価値はかなりあったと思うんだけど・・・
今になって思う・・・入場料のいる建物内には、彼は案内してない・・・。
私がお金がないと言ってたから?もしかしてぇ?
ちなみに写真の彼が、ガイドです。
そのまま博物館前を通り抜けると、だだっ広い広場が出現。そう、昨日Juanと話していた
スペイン広場。
広場の突き当たりにあるのが、アルカサル(Alcazar de Colon)
(左写真;なぜこの写真を拡大バージョンにしたか自分でもわからない・・・)。
スペイン総督としてやってきたコロンブスの息子、ディエゴがゴシック様式で私邸を造らせたもの。
コロンブスの子孫が3代にわたって住んでいた。贅沢な生活をしていたそう。
今は博物館となっているが、これまた、ガイドは通り過ぎていった・・・。