【小ネタコレクション File043】

「婆さん石像」の謎を追え!

ずいぶん昔の話ですが、とある地図系出版社から県別の2万5千分の1道路地図がシリーズ(といっても東京、千葉、埼玉、神奈川だけ)で発売されていました。このシリーズ、国土地理院の地形図も含めて他では決して載っていないような無名の名所や史跡・旧跡が載っていたので、非常にお気に入りだったのですが、あまり人気がなかったのか、あるいは作るのが大変すぎたのか、改訂されることもなく消え去ってしまいました。

さて、この道路地図を1989年に入手してから、実はずっと気になっている所があったのでした。それは埼玉県の上尾駅のすぐそばに載っている「婆さん石像」(!)という表示です。

 

婆さん石像地図

赤字で記されているので、名所・史跡・旧跡の類であることは間違いないようです。いったいどんな石像なのか? その婆さんに関するどんな物語があるのか? 例えば、ビジュアル的には日本財団の例の背負っている像のような感じで、昔、婆さんが飢饉とか水害から村を守ったといった物語がそこにはあるのではないか?……といった具合に想像が広がる一方、正解もまったく見当がつきません。

※さて、今回の話は「婆さん石像」というものが地図に載っていた、という部分が言ってみればオチなので、あとは蛇足でしかありません。どうしても正体が気になる人だけこの先を読んでください。

 

いつか確認しに行こう行こうと思っていて、ようやく訪れたのはそれから14年ほど経った2003年2月のことでした。ところが他の所をまわった帰りだったので、到着したのは既に夜。しかも雨が降り出し、落ち着いて車を止めておくところも見つからず、実は私の前に探しに行った人から、地図の場所には何もなかったという情報を聞いていたため、壊されてしまったのではという疑念もあって、あきらめてこの時は帰ることにしたのでした。

しかしどうもスッキリしないため、それから数か月後の休日、今度は電車で直接現地に行って確かめてみることにしました。

上尾という街は結構都会化されているイメージを持っていたのですが、乗った電車はドアに手動開閉ボタンがついており、一気にローカルな気分に……。ようやく上尾駅に到着し、地図上に印がつけられた地点に向かうことにします。

すぐ問題の場所には着いたのですが、やはりなにもありません。往々にして地図上のこの手の記号の位置は間違っていることが多いので捜索範囲を広げ、近所にあった春日神社の境内も細かく調べていきます。……すると庚申塔に混じって、いかにも婆さんの顔のような石仏を発見!

 

春日神社の石仏

まるで小学校の工作の時間に作らされた軽石の顔面像のようだなあ、と思いつつも、寛延(1748〜1751年)と刻まれているし「きっとこれに違いない!」と勝手に判断し、写真を撮って引きあげることにしました。

ただ確証がなにもないので、できればこれが本当にそうか、この辺の住民に確認したいと思ったのですが、こういう時に限ってまったく人の姿がありません。まあ、これでいいかと諦めて帰りかけたとき、なぜか神社の脇にのびている道が妙に気になり、ちょっとだけ覗いてみることにしたのです。

 

墓地の真ん中に

すると奥には墓地があり、その真ん中によく地蔵などに被せられているような屋根と囲いが見えました。

 

婆さん石像

近づいたところ、なんとそこには「婆さん」の石像があるじゃないですか! もうこれはさっきの顔面とは違って、誰が見ても婆さんです。今度こそ間違いありません。

ところが、無事発見はしたものの、今度はその謂われがまったくわかりません。普通だったら市の教育委員会とかが看板をたてていそうなものですが、そういった類の物も一切見あたりません。たまたま、この石像の隣の民家から出てきた中年の男性に聞いてみたところ、「知らんな」の一言で片づけられてしまいました。

 

婆さん石像

仕方ないので駅の反対側にある図書館まで行って、市の歴史について書かれた本を調べてみることにします。いろいろ探してようやく下記の本(取次を通ってない市の資料)の中に発見することができました。

「史跡ある記」
石島潔(いいじま・きよし)著
上尾市役所企画財政部広報公聴課広報係:発行
昭和55年12月1日発行

内容を要約すると、この石像、一般的に「しょうつかの婆さん」といい、「しょうつか」は「葬頭河(そうずか)」つまり「三途の川」がなまったもので、要するに「奪衣婆」なのだそうです。建立は天和二年(1682年)七月。「奪衣婆」というのは中国の民間信仰と仏教が習合して生まれた十王信仰(※1)によって登場してきたキャラクターなので、十王様を祀っているところにはよくこの像があるということです。

※1:人が死後に赴く冥土には、亡者の罪業の審判者として閻羅王(閻魔王)など十人の王がおり、初七日から七七日までの七日ごと、および百日・一年・三年の各忌日に、順次各王の許で裁かれて行き、六道のどこへ生まれ変わるかを決められるという信仰。

ということは、春日神社の庚申塔の隣にあった石像も「しょうつかの婆さん」を祀ったものだったのかもしれません。まあ、いずれにせよ、十数年間引っかかっていた疑問が解決して、ヒジョ〜にすっきりしました!


埼玉県上尾市柏座二丁目

スッキリ度:★★★★★

END
(2003.2/2003.6)


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