【廃墟マニヤ File070】

H遠部鉱山(秋田県)

(その1)

事務所と一体の選鉱施設

今回紹介する「古T部鉱山」は比較的近年開発された鉱山であり、徹底した合理化・近代化が図られたため、現在も残る選鉱施設は工場のビルディングのような外観で、古い鉱山とは一線を画したものとなっています。産出したのは銅、鉛、亜鉛などを含む黒鉱で、現在の場所で採鉱から選鉱までを行っていました。

この鉱山を「南H遠部鉱山」と表記している資料もありますが、単純に名前が変わっただけなのか、初期の頃は別の場所にあって、後に今の場所に移ってきたのを区別するためなのかは、きちんと調べていないので不明です。

 

歴史的なことについて簡単に説明すると、この「H遠部鉱山」の発見は1911年(明治44年)。1958年には、M菱金属H遠部鉱山として操業を開始します。1960年、新鉱床が発見され、開発が進められますが、1980年代多くの日本国内鉱山のトドメを刺した非鉄金属の国際市況の低迷・円高に加え、鉱量枯渇によって、1986年3月あえなく閉山となってしまいました。

私が訪問した2006年の時点で、閉山から既に20年経っているにもかかわらず、いまだにM菱マテリアル(株)によって排水の処理が行われていた模様です。鉱山の後処理がいかに大変か、改めて思い知らされました。


満足度:★★

 


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