親父の関所(oyatiti)
大正13年に出された『藤枝町誌』によれば、大正10年2月28日に国会で議決された町村制により、栄区は鬼岩寺ノ内字河原町、辻、益津ノ内字上伝馬をもって成立したと記されている。辻は清水橋から正定寺の門前小路までを指し、字上伝馬は清水橋から正定寺の真向かえまでと伝える。明治35年の大祭には、辻町は花咲か爺、河原町は天竺徳兵衛と別々に練りを出していることが、『静岡新報』からうかがえるが、この辻町は、地元の古老の伝承からすると、辻と字上伝馬が通りを挟んで一つの町を作っていたといい、町村制で大正10年に栄区が成立するまでは、辻町と河原町の二つの祭典組織があったことになる。事実、栄区には旧辻町で祀る津島神社と旧河原町で祀る津島神社があり、今も別々に祭祀されている。したがって、大正10年に栄区が成立したときは、辻町と川原町が合併したという感覚だったはずである。しかし、栄区の町印は、辻・字上伝馬・河原町の三つの地域の和合と繁栄を願い、その和合と繁栄を象徴するといわれる柏葉三枚でデザインされている「結び柏」の紋を町印に選んでいる。また、「河原町」と呼ばれていた町名から、河原をその舞台に活躍した歌舞伎役者の家紋の一つである「結び柏」を町印に選んだとする説も有力で、栄区の町印はなかなか奥が深い。
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