このカセットが送られて来たのは 1986 年あるいはその翌年。
庶民が音楽を記録するメディアとしては、カセット・テープが全盛でした。
バンドでのキャリアがあった彼にとり、ソロ形態でのフル・アルバムはこれが二つ目のものでした。
テープ・ループ、アナログ・レコード、キー・ボードなどを用いるスタイルが既にここで完成されています。
当時彼はこのカセットをデモ・テープとして日本のものを含む幾つかのレーベルに送りましたが、
どうもカセット・アルバムの形で出版してくれるところは無かったようでした。
「間が抜けていてのろまであること」
それさえをもポジティヴなエレメントとして用いるトムの音楽。
その姿勢は当時不利にこそなれ、魅力的なものとしては評価されませんでした。
そんなものを受け容れるだけの許容力が、まだ業界には生まれていかったのでしょう。
だけどその後時代が求めるものは確実に変って来た、かなりの確信をもって私はそう考えます。
立派である、あるいは強くあるだけでは伝えることのできないものが音楽の中にある。
そのことが顕かとならざるを得ない形で、時代が推移したように思います。
時が経ち、"Solos 1985-86" の音楽は CD に収められ陽の目を見ます。
トムによる初めての単独 CD アルバム Chaotica として。
Chaotica が世に出たのは、L.A.F.M.S.の回顧 CD ボックス
The Lowest Form of Music 出版後間もなくでした。
このボックスには多数の音楽家が数年にわたり創出した作品が収められました。
その結果、CD を 10から11 枚も収める高価なものとなってしまいました。
正直なところ、L.A.F.M.S.愛好者の他にアピールすることは決して容易ではありませんでした。
「音楽に人生をかけているのでもない限り、あの高価なボックスに金を払うことに躊躇するよね」
そんな風に、L.A.F.M.S.のメンバー自身がそのことを良く理解していました。
当時、L.A.F.M.S. のレコードはオリジナル盤の入手が極めて困難でした。
だからボックス・セットの登場は愛好者には願っても無い朗報でした。
でも現実にレコード屋で簡単に売れる代物ではありませんでした。
「一体今、誰が L.A.F.M.S.を聴こうとするんだろう?」
レコード店を営む方がそうつぶやいていました。
その事態を変えるできごとが起こりました!
ひとつが、 Chaotica の出版。
もうひとつが、ソリッド・アイのファースト CD
Electromaginetic Field and Stream of Consciousness の登場でした。
これらについては、タワー・レコードを含むあちこちのレコード店で良く売れたようでした。
「L.A.F.M.S.モノは売れる!」と、驚いておられた店長さんにも出遭いました。
「間が抜けていてのろまであること」
そのことが音楽に活かされています。
トムとソリッド・アイが共有する L.A.F.M.S. の魂かも知れません。
さて、「くまのプーさん」ののろまさ加減にあなたは苛立ちを覚えますか?
それとも、シンパシーこそを感じますか?
成果だけを評価することで行き詰まり始めた世間の選択肢は、
余りにも明白だと思います。
振出しに戻る / Going Home
初稿 2004年8月19日
第ニ稿 2004年8月28日