Kさん(入所時50歳→現在58歳)へのインタビュー

中村 またずいぶん派手なTシャツを着ているね。何のTシャツ?    
    2018年の奈々ちゃん(水樹奈々)のTシャツですよ。 Kさん
中村 そうそう、水樹奈々、結婚するみたいだね。    
    そうなんですよ。まだ子どもを産める年齢だから良かったと思いますよ。 Kさん
中村 コロナ感染拡大の影響で、Kさんの好きなライブが中止になって退屈でしょう。    
    そうなんです。つまらないですよ。中村さんにチケットを取ってもらったMAMAMOO(ママムー)のライブも中止になったし……。 Kさん

ワンデーポートに来るきっかけ

中村 ワンデーポートに来るときはどんな状況だったの?    
    47歳くらいだったかな。浄化槽管理の仕事をしていましたが、家のローンと、パチンコでつくった消費者金融から借金があって、死んでローンを終わらせようと思ったんです。当時、結婚していて中学生と高校生の子どもが2人いました。妻との約束で小遣いなしで、借金を払っていくことになっていました。仕事で釣銭を持っていなければならなかったのですが、そのお金も工面できなくなって、死んだら保険金が出ると思ったんです。
 妻との関係は2~3年前から悪かったです。自殺しようと思って海に行ったんです。若いころ、サーフィンが好きでよく行った海です。海に入って死のうの思ったのですが、泳いでしまいました(笑)。死ねずに10日くらい野宿しました。民家の柿の木の実を食べたり、スーパーの試食を食べたりしました。そしたら、地元の人が食べ物をくれたんです。「ここで死なれたら困る」と言われて、救急車で搬送されたんです。そして、病院から実家に電話してもらって、弟と妻が迎えに来ました。探していたらしいです。
 その後、話し合ってアルバイトをはじめました。15年くらいやっていた浄化槽管理の仕事は投げ出してしまったのでアルバイトをやりました。そのアルバイトは2年くらいで辞めてくれと言われました。そこから派遣でアルバイトをしました。でも、そのアルバイトも少なくなって、約束していたお金を妻に渡すことができなくなったんです。それで、失踪したんです。ワンデーポートに来る前までだから9か月くらい失踪しました。はじめは派遣のアルバイトがありました。一週間に一回だけビジネスホテルに泊まり、その他の日はスーパー銭湯に泊まりました。パチンコもやっていました。なんとか回っていましたが、アルバイトもなくなって、最後は、公園で野宿するようになりました。23日間公園にいました。死のうと思っても、死ねなくて、自分で救急車を呼びました。栄養失調だと言われました。2日間入院しましたが、そこの病院の先生にワンデーポートを勧められました。
Kさん
中村 奥さんとの関係はどうなっていたのですか?    
    その少し前に離婚していました。 Kさん
中村 そうなんだ    

ワンデーポートに来てから

中村 Kさんがワンデーポートに来たとき、私に「ごめんなさい」「すみません」しか言わないので、「謝るようなことはしていないのだから、そんなこと言う必要ないですよ」と言ったのを覚えている?    
    そうだったかもしれない。 Kさん
中村 ワンデーポートに来てどうだった。    
    仕事もしないで、こんな楽な生活していていいのかと思いました。とにかく借金を返済しないといけないと思っていたのに「借金のことは考えなくていい」と言われ、戸惑いました。だけど、楽な生活をしていると「自分は仕事やいろいろなことにストレスを抱えていたんだな」と気付きました。浄化槽の仕事も24時間体制になって大変でした。あと、電話が苦手なのですが、仕事でお客さんとやり取りすることも辛かったです。家には給料を運んでいるだけで居場所はなかったです。自分は、結婚やキツイ仕事は向かなかったということは、ワンデーポートにいて感じました。1人になる時間がないとダメなんだと思いました。だから、ワンデーポートでの寮生活もきつかったですよ。 Kさん
中村 借金はどうしたのだっけ?    
    借金については、稲村先生に自己破産の手続きをしてもらい解決しました。 Kさん
中村 そうだった。心理検査を受けてもらい障害者手帳を取得する提案をしたけど、そのことについてはどう思っています?    
    それは反発したい気持ちもありましたよ。でも生活できるなら良いと割り切りました。 Kさん
中村 障害者手帳を使った仕事も自分で決めてきましたよね。仕事を探すのは早かったですよね。    
    仕事は好きなんですよ。今の仕事は、物産展で使用する大型冷蔵庫の清掃・メンテナンスで、もう7年続けています。面白いですよ。最高です。汚いものが綺麗になるのは最高にやりがいがあるんです。達成感が半端ではないです。基本的には1人でやる仕事なので、楽ですし。 Kさん

余暇の充実

中村 Fさんは、余暇の充実は素晴らしいですが、運動も、ライブも今も楽しんでいますよね。僕がいちばんはじめに記憶があるのは、100kmウォークだけど、何回くらい出た?    
    つくば、三河湾、房総、3回歩きました。達成感のある運動は好きなんです。 Kさん
中村 2015年の三河湾は40km地点からゴールまで、一緒に歩きましたよね。豪雨の中。あれはほんとうに辛かった。泣きたいくらいつらかった。Kさん、不機嫌になっちゃうし(笑)。    
    70km地点で、中村さんがやめようと言ってきたんで、ブチ切れたんですよ。 Kさん
中村 そうだった。30時間の制限時間まではあと10時間あったけど、あのスピードだとあと7時間、しかも土砂降りの雨の中を歩くと思ったら、心が折れかかってしまいました。でも、Kさんのお陰でゴールできてよかった。それから、ワンデーポートを出た後ライブに行っているけど、最初に行ったのはいつだったの?    
    赤坂BLITZの森高千里ですよ。 Kさん
中村 ああそうだった。参加者募ってみんなで行ったんだ。楽しかったよね。2015年だ。私は基本的に森高だけだけど、Fさん幅広いよね。水樹奈々に、AAA、TWICE、そしてママムー。あと、KARAのメンバーの、誰だっけ?    
    ニコルですよ。 Kさん
中村 いろいろなライブ行っているよね。    
    ライブに年齢は関係ないですから。 Kさん
中村 ボルダリングも行っているよね。    
    ワンデーポートに来る前からやってみたかったんですよ。はじめは1人でやっていましたが、ワンデーポートに後から入ってきた利用者の人に経験者がいて、いろいろと教えてもらい、今も続けています。 Kさん
中村 スゴイね。Kさんは、結婚しているときはどうして健康的な余暇の過ごし方ができなかったのかな。    
    妻がお金をくれないからですよ。結婚する前は、キャンディーズのライブも行っていたし、サーフィンもずっとやっていましたから。 Kさん
中村      

パチンコの問題は?

中村 Kさんの話を聞いていると、パチンコが問題ではなくて結婚したことや、仕事の問題のほうが大きいと思うのですが、Kさんはいつからパチンコをやっていたの?    
    20代の時からやっていました。 Kさん
中村 その頃から借金したの?    
    借金は47歳くらいのときです。 Kさん

コロナが収束したらライブ行こう

中村 そういえば、2年前にお子さんから連絡があって、会うことができたのですよね。    
    元妻はよく許してくれたと思います。子どもたちは24歳と25歳になっています。今はLINEでやりとりしています。 Kさん
中村 仕事も余暇も家族関係も充実していて、ワンデーポートに来て良かったと思いますか。    
    良かったですよ。 Kさん
中村 安心しました。コロナが終息したら、水樹奈々と森高千里のライブ、一緒に行きましょう。ママムーは無理だけど。