札幌へ親族旅行
2008年10月24日〜10月26日


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●まえがき

 札幌の姪の結婚式に出向くついでに3家族で小樽、札幌、千歳を回ったもののうち小樽と札幌の記録を整理したものです。

●もくじ
 □21年ぶりの小樽
 □大通公園を行き来して
 □「季節の中で」を叫ぶ


◎21年ぶりの小樽

 新千歳空港から快速電車で小樽に直行すると午後1時過ぎで、相変らず小雨まじりである。早朝に家を発ち、羽田空港から同乗した3家族6名は空腹で見物どころでない。「寿司屋はどこにあるの」と義兄が言い出し、「小樽に昔立ち寄ったでしょ」と妻がつつく。駅から港に向って左側の魚市場で食事をしたが21年前の話だ。三角市場という看板があっても観光パンフレットに魚市場の表示がないのにあわてた。義父母は疲れて無口である。「運河に向かえば寿司屋もあるでしょ」と義姉がとりなし、雨の中を歩くのもつらいから市内散策バスのマリンコースに乗った。20分おきに出ているからl日乗車券で途中下車すればいい。

 北海道へは21年前に仕事で出向いただけである。飛行機に乗るのが嫌で行き帰りは青函連絡船を使った。函館と札幌の間を4泊5日で動き回ったが観光地めぐりとは無縁である。大沼公園の紅葉と改修される前の小樽運河しか記憶にない。苦手な飛行機に乗るというだけで気が迷入り、ひと月前に買ったガイドブックを眺める気も失せた。飛行機が雲の中を通過するときふわっと浮き上がるたびに肝をすくめ、着陸時のごっごつした衝撃に本当に止まるのかと脅えた。
 

 小樽で思いつくのは作家の伊藤整や小林多喜二である。『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳で裁判をした伊藤とプロレタリア文学の名作『蟹工船』を書いた小林を思い出す。観光協会のパンフレットには石川啄木が新聞記者を短期間つとめ、小林が銀行員生活を送った紹介もある。ともあれ小樽は漁港だけでなく商業も栄えた町で「北のウォール街」と呼ばれたそうだ。日本銀行旧小樽支店、北海道拓殖銀行小樽支店、旧北海道銀行本店、旧三菱銀行小樽支店が保存されていて、どことなく横浜に似ている。

 改修された運河に群れるのは中国系の観光客が目立った。早口の大声でまくしたてられるのも空腹にこたえる。21年前は改修される前の横浜の赤レンが倉庫と同様に朽ちて汚れていて寄りつく人も少なかった。ひとごみを避けて入った政寿司ぜん庵で玉子とウニをたれにしてイカ刺しを食べて、ようやく互いが口を開いた。「コリコリしていておいしい」と今まで無口だった妻が満足気に言う。地図を見直せば寿司屋通りは小樽駅からずいぶん離れていて、散策バスのル一卜に入っていない。雨も上って互いに出向く場所を並らべたてる。

  

 腹を満たせばおみやげである。「オルゴールやガラス細工なんてかさ張る」とわたしが言えば、「ともかく北一硝子前で降りてみよう」と義兄が言い出す。店内はガラス細工のアクセサリーや食器が並び、半端な値段ではない。義母や義姉があれこれ買い込むのに呆れた。妻は値段に尻ごみしていたが、バスの発車まぎわに「やっぱり買って行こう」と言い出した。しかたないから他の家族を先にバスに乗せて店内に戻った。

  

 ようやく小樽マリーナにある石原裕次郎記念館に着いたが入館する気はしない。待合所で待つと義父が戻ってきたのが意外だ。裕次郎のファンは義母と義兄で、わざわざ小樽へ出向いたのもこの記念館を目当てにしたようだ。そういえば北一硝子のバス停で妻が買い物を言い出したときやけに先を急いでいたのもうなづけた。遠いとあきらめたものの散策バスのルートに入っていて気が変ったのだろう。満足した義母と義兄があれこれ印象を語り合うのに、関心のない妻はきょとんとしていた。

  

 夕暮れの運河や金融街の建物をバスから眺めて小樽駅へ向えば人の姿が目立ち始めた。金曜日の夜だから仕事帰りの人も多い。「小樽ってこんなに人がいるの」と妻がつぶやく。北海道といえば熊やキツネと一緒に暮らすと思い込んでいるのがおかしい。21年前に長万部(おしゃまんべ)や黒松内に立ち寄ったときヒグマが出ると脅かされたが、その頃だって小樽はにぎやかな街だった。テレビ中毒のわりに世間知らずな妻に呆れた。

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◎大通り公園を行き来して

 小樽から札幌へ戻り、義兄夫婦と夜のすすきのに出向いた。新旧あるラーメン横丁は値段の高さに腰を抜かし近くの居酒屋で食事をしたが、タラバガニの足1本で1500円なのに呆れた。午後9時過ぎに人通りの増えた地上を札幌駅に向けて歩けば、「こんなににぎやかなの」と義兄や妻が驚く。2時間前に地下鉄すすきの駅から上ったときは「こんなに人が少ないの」と口にしていたのを忘れている。

 ふきのとうの歌に出てくる狸小路はきらびやかで、若者がたまって歌のイメージと異なる。もっとも、ふきのとうというフォ一クディオを覚えている人もいるまい。わたしは『白い冬』や『春雷』を口ずさんだことがあるばかりにズレを感じたが同行者たらは気にもとめない。ドン・キホーテやパルコなんてよそものが仕切るのも興ざめだ。奥に入れば面影も残るにせよ、そんなノスタルジィにひたるときではない。

 ようやく大通公園に至り、テレビ塔を眺めると義兄から時計台の所望だ。小樽と同様に観光ガイドと間違えられるのも迷惑である。21年前だってわかりにくかった。「アンタ、行ったことがあるって言ってたじゃない」と酒が入って陽気になった妻が案内を強いる。数日前のことさえ覚えていない方向オンチが亭主は何でも覚えていると決めつけるのも腹立たしい。

  

 通りすがりの人に道をたずねて時計台へたどり着けばライトアップされて昼間よりくっきり浮き出る。市役所ほかの建物に囲まれているから見落すくらい小さな建物で、わたしも21年前の昼間に通り過ぎたことがある。入館できるのは午後5時までなので写真を撮ってすませたが、1878(明治11)年以来140年も建っているそうだ。

 大通公園は翌日の朝と夜に行き来した。翌日の午前にさっぽろ散策バスを2系統使って大倉山ジャンプ競技場やサッポロビール園へ立ち寄ったが、乗り替えは時計台前だった。昼間にはロバの馬車(?)も見かけた。ともあれ雪祭りの会場になる大通公園が東西に長く広がるのにびっくりした。「札幌ってこんなに大きな街だったの」と妻が驚くのに呆れた。札幌にはわたしより多く出向いている割に地理に疎いのに驚いた。

  
 
 結婚式が終ってから午後10時過ぎて札幌駅前のホテルから大通公園へ向うと店が閉じてやけにひっそりしている。「ファミレスがないわ」と言い出す女房をなだめて大通公園に着けばテレビ塔の電気も消えている。とはいえ土曜日の夜だから大通公園からすすきのに向かう通りはネオンサインもきらびやである。夜更かしには慣れているものの朝から動き回った疲れも加わり、帰りは地下鉄を使う始末である。今度出向くときにはぜひ市電に乗りたいものだ。札幌駅前から出ていないのが残念である。

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◎「季節の中で」を叫ぶ(おまけ)

 何はともあれ札幌で行われた姪の結婚式は天気にめぐまれて無事終了した。
 それにしても北海道式の結婚式には戸惑わされた。会費制だからどう祝金を包むか悩み、親族や親戚の席が上座にあるのもおちつかない。おまけに、新郎新婦とは別に親族の二次会まであって札幌の親族は芸達者ときている。

 この場は義兄や甥にまかせようとしたら下を向く。酔った妻が「あんたいつもギターを弾いて歌っているでしょ」と言い出す。
「おまえだけがはないの」、「なごり雪でもいじじゃない」、「イチゴ白書もあったでしょ」と無責任にほざく。
「それじゃ横浜にまかせよう」と義兄が言い出し、しかたないから吉幾三の「雪国」や「酒よ」を探せば見当らない。あわてて歌い慣れた安全地帯を忘れる始末である。そこで思い出したのが北海道出身者の松山干春。ふきのとうや中島みゆきより明るい。やけっぱちになって、

  めぐる めぐる季節の中で
  あなたは何を見つめるだろう
 ♪
 を叫んで終えた。

  はばたけ高く はばたけ強く
  小さなつばさひろげ
 ♪
 が門出の祝いになるだろう。

「これで面目はたったわ」と妻が浮かれるのにはあきれた。
「恥をさらしに札幌まで来たわけじゃない」と不満をもらせば、
「ギターをいじってるんだからこういう時に役に立ってよ」と居直る。
苦手な飛行機に渋々乗ってきた亭主に思いやりが欠けるヤツである。


 

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