油壷マリンパークへ立寄る
2008年07月05日


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 京急久里浜線の山あいの車窓を眺めて妻に独身時代に出向いたオリエンテーリングやミカン狩りの説明をしていると、

油壷のバス停
休業中のホテル
   営業中のホテル
霞んだ海岸
マリンパーク
水族館

「この電車の席はみんな進行方向に向って並んでいるんですね」と横に座ったおばあさんがつぶやいた。
「急行や普通は横がけのロングシートのほうが多いですよ」と応えると、
「わたしの住んでいるところはボックス席が多いんです」と旅装姿のおばあさんが笑う。
ひとりで観光地巡りをするかと思い込んでいたが嫁いだ娘の家へ向うそうで気丈な方だった。

 午後の診察時刻には間があるので京急の快特に乗って終点の三崎口へ出向いた。浦賀と三崎口との分岐である堀ノ内駅から先は各駅停車になり客が減った車内はやけにひっそりとしている。横須賀中央から堀ノ内までは猿島が間近に見えたが、久里浜−金谷間の東京湾フェリーは濃霧のために欠航である。空がよどんで何となくもやっとしている。霧の中から煙突がぬっと突き出すのも不気味である。津久井浜の高台を巻いて走る電車からは大根畑とトウモロコシしか見かけない。

 三崎口へ降りると学校帰りの中高生が目立ち、観光客はまばらである。夏の渋滞にうんざりさせられた隣接する国道134号も閑散としている。駅備え付けの散歩マツプは「三戸・荒崎〜ソレイユの丘」だけだ。三崎港や城ケ島ぐらいあるかと甘く考えていたが遠く離れているから案内図に入らないのだろうか。それにしても鉄道会社の名前を付けたホテルや水族館の案内も出ていないのは不可解である。バスで15分で行け、1時間に3本ある油壷マリンパークもそんな施設である。

 数年に一度出向く城ケ島と異なり、《京急油壷(あぶらつぼ)マリンパーク》は2度目である。18年ぐらい前に子どもを連れてバンドウイルカのショーを眺めに出向いたが、クルマの渋滞にうんざりして以後はまったく近寄らなかった。後乗り整理券付きのバスに戸惑い、始発には整理券が不要なことを運転手に確めて乗ったバスが終点へ着くころは妻とわたしと途中に乗った老女だけである。午後3時前というのになんとなくひなびた終点である。

 「マリンパークに直づけじゃないの。これじゃ野っ原にある臨時駐車場よ」と妻は驚きを隠さない。廃墟と化した観光ホテルや昨年12月16日をもって廃止された城ケ島と結ぶ渡船場入口を眺めてマリンパークヘ向う道は強い日差しがやけによそよそしい。小網代湾や三戸海岸も霧に霞んで薄ぼんやりしている。暑がりの妻は、かつての賑わいを思い出し、寂れた観光地に連れ出された不満をあれこれ並べる。日帰り温泉のある《ホテル京急油壷観潮荘》へ立ち寄っても、夕ンクローリーを見かけて「ソレイユの丘と同じ海洋深層水の温泉ね」と素っ気ない。

 「入場料がl700円もするのよ」と気乗りしない妻をなだめマリンパークに入場すると家族連れとアベックがあふれている。「今でも人が集まるのね」と妻は驚きを隠さない。ぺンギンやイルカのショーのほかに小さなサメに触われ、薄暗い水族館の中を歩くのは子どもだけの場ではない。水族館の《魚の国》に入り、長いヒゲを持つのどかなジンベイサメを眺めて「サメというよりナマズみたいね」と妻はつぶやく。タカアシガニや伊勢エビを眺めて「おいしそう」はないだろう。ハリセンボンやフグのユーモラスな泳ぎに食い入り、熱帯魚の鮮やかさや深海魚の不気味さに妻が満足するのもおかしい。2階の円型大水層にはサメやエイのほかに大小の魚が回遊していて思わず見とれる始末である。

 三浦半島の先端の城ケ島や油壷は出向くたびに寂れている。道路が整備されていつでも出向ける場所になったからだろう。相模湖や河口湖と同様にかつては東京や横浜からてごろに出向けるドライブコースのひとつだった。わたしや妻も三多摩から日帰りで出向いた。それはともあれ、水族館や動物園は齢を取っても飽きない陽所である。そして日差しが避けられる水族館の暗がりは動物園と違った解放感が漂う。帰りのバスで一緒に乗った荒井浜海岸に出向いた子どもたちも楽しい思い出になるのだろうか。

 4時半過ぎて病院のある能見台駅に着くと浴衣姿の子どもたちが七夕祭りに群れていた。4月のピロリ菌検査結果は陰性で、当分胃薬の世話にならずに済むようだ。五十肩の痛みに気をとられて胃の検査も忘れ、妻子に指摘されて病院へ出向くのもうかつだ。そして京急線に乗るとあれこれ寄り道してしまうのも不思議である。


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