やもり

 以前、借りていた部屋の外には、狭かったが庭があり、どういうわけかヒキガエルが棲みついていた。暗くなってから敷地に入ると足元で急に動かれ、びっくりしたことが何回もあった。始めは何がいるのか分からず、恐る恐る歩いたりしていた。庭の一角に物置があり、冬などはその下に潜り込んで、越冬していたようだ。そして、六月くらいになると姿を現すのだった。

 現在の家では、ヒキガエルを見かけることはさすがにないが、その代り頻繁に現われるのがやもりである。最初に見かけたのは夜で二階の北側の窓ガラスにべったりと張り付いていた。漫画家のつげ義春さんの作品に「やもり」というものがある。つげさんの少年時代をモチーフにした作品で、義父に馴染めない少年の話である。

 義父に落書きが見つかり、家から追い出された少年は、‘養子に来ない’と誘われたアルバイト先の夫婦のもとに向かう。家の庭先までいくと、縁側で涼をとっている夫妻をみかけ、彼は生垣に隠れ様子を覗う。やがてふたりは、縁側から部屋の吊るされた蚊帳に入り、夫婦の交歓が始まる。行く当てのない少年は耳を塞ぎ、その場に留まるが、ふと玄関をみるとその上の灯りにやもりがべったりと張り付いている。その様子を見て少年は走り去る。

 灯りにやもりが張り付いているというのは、実はよくあることで、灯りに集まる虫を狙っているのである。したがって、灯りの漏れる窓によく張り付いている、家では、二階の窓の他、玄関やお風呂場の窓にやもりが張り付いていた。昔は、外灯のある家はまれで裕福な家ばかりだった。したがって、やもりのいることは、富の象徴のように思われていたそうである。やもりは漢字では、守宮または家守と書く。これは、やもりが家の害虫を捕食してくれるからで、地域によって縁起物として大切にする風習もあるらしい。

 また、その姿も愛嬌があって可愛らしく、性質も臆病でおとなしいから、人に危害を加えるということもない。ただ、見慣れない人にとっては、気持ち悪いと感じるかもしれない。以前に住んでいた家で、雨戸を引こうとしたら、やもりが足元に落ちて来てびっくりしたことがあった。やもりもびっくりしたのだろう、畳の上を走ると壁を上ってエアコンの穴に入っていった。

 昨年の夏、玄関横の窓にやもりが張り付いていた。気持ち悪く思った妻は窓を閉めようとした。やもりは張り付いたままだったので、窓と窓の間に挟まる形になり、潰れてしまった。まだ小さかったので、子供だったのだろう。子供ということは、繁殖をしているということで、また、そのうちに新しい命に会えるかもしれない。

 やもりとよく混同される生き物として、イモリがある。イモリは漢字で井守と書き、その名の通り水の中に棲む両生類である。子供の頃、イモリを飼っていたことがある。全体的に黒い色をしているが、腹は赤くて母などは気持ち悪がっていた。ただ、顔はやもり同様、愛嬌があり、可愛かった。餌としては生きたイトミミズを与えていた。

 家の近くで自然に暮らしている生き物がいるというのは楽しい。また、つげ義春さんの作品には「蟹」というものがある。主人公は、自身の住んでいる郊外のボロ家の縁の下に、蟹が棲みついているのをみつける。あまり変化のない生活をしている主人公は、水辺のないところに蟹の現われたことを不思議に思い、同居人の李さんといっしょにいろいろと推理を巡らす。蟹の出現を主人公は歓迎し、楽しい気分になるのである。僕もやもりくんの登場により、同じような気持ちを味わっている。(2018.8.5)




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