サンデーモーニング

 日曜日の朝、小雨の残る中、馬券を買いに駅までいく途中にある銀杏並木の下り坂でリックサックを背負いスニーカーを履いた小学生の女の子が後から走ってきて、僕を追い越していった。ジーンズを履き、アウトドア用のウエアを着ているから、何処かへ、ハイキングに行くのだろうか?とぼんやりと後姿を目で追った。

 雨は上がりつつあるから、気分が弾んでいるのかな?と後姿をよく見ると、しっかりとした体つきをしている。体の大きさは小学六年生くらいなのだが、結構、年はいっているかもしれない。そんなことを思っていたら、後を振り返り「フミオ、早くしなさい!」と声をあげた。自分の子供を呼んでいたのである。

 その子供はというと、まだ四〜五歳の男の子で、朝早くて眠いのか、とぼとぼと後の方を歩いている。母親はしばらく後を向いて子供を見ていたが、また、小走りに坂を下り始めた。その急ぎ振りから、駅で誰かと待ち合わせをしているようで、その時間ぎりぎりなのだろう?と思った。

 また、しばらくして、母親は立ち止まって後を振り返り、「フミオ、早く!」と子供を呼んだ。少しして、子供の走る足音が後から聞こえたが、すぐに音は消えた。母は、その様子を見て、また、トットットと走り出す。「ママー、まって!」と走り出した母の背に子供が呼びかけ、母親は足を止め、子供を待った。

 子供は再び走り出し、僕を追い越し、母親に追い付いて、今度は手を繋いでふたりで走り出したが、長続きはせず、また、子供が置いてけぼりになる。母親は、急がない子供に「何やっているの?早くしなさい!」と怒るが、子供は立ち止まったまま、ズボンの裾を上げ、ずり落ちた右足の靴下をたくし上げ、次は左足の靴下をたくし上げ、無言の反抗を示す。

 そんなことをしている間に、僕は子供を追い越し、また、親子の間を歩くことになった。ずり落ちた靴下を元に戻したのか、再び、子供の走り出した音が聞こえた。今度は、母親は先に行かず、子供の来るまで待つらしく、僕は彼女の横を通り過ぎた。少しして後から、「ほら、遅いから、おじさんにも抜かれちゃったじゃない」という母親の声が聞こえた。「おじさん」というのは、僕のことだろう。何も、引き合いに出さなくてもいいのにと思った。のんびりと歩いている僕に遅れをとったことが、よほど悔しかったのかもしれない。

 駅前のバスロータリーに繋がるスクランブル交差点で、また、親子といっしょになった。信号が青に変ると、二人は早足でロータリーを過ぎ、高架になっている駅舎に繋がるエスカレータに乗り込んだ。母親は歩いて上っていったが、子供は、エスカレータに身を任せ、寄りかかるようにして手すりを持ってバスロータリーの風景を見ていた。以前に、書いたことがあるが、この場合、エスカレータ上を歩かなかった子供の方が正しい。

 エスカレータを降り、駅の改札に繋がる広場のところに、二人を待っている一組の若い男女がいた。友人というより、何かの団体の世話役といった感じだった。「おはようございます」と母親が挨拶すると、二人も挨拶を返し、四人でその場に佇んでいた。待ち合わせの人はまだいるらしい。僕は駅の構内に入り、改札に向かったが、前から男の子がふたり駆けて来た。その後には、父親と思われる男性がいて「走らないで!」と二人に声をかけていた。改札への曲がり角で、ちらりと広場の方を見ると、その三人も、先程の二人の親子と同じグループだったらしく、いっしょになって話していた。

 それにしても、片方の親は子供を走らせ、もう片方は走る子供に止めなさいといい、この教育方針の違いは二十年後、どのような形になって現われるのだろうかと、そんなことを思った。(2015.11.15)




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