シルバーウィーク

 シルバーウィークに、群馬県伊勢崎市に住んでいる妻の友人アナが遊びに来た。日曜日の朝、六時半くらいに「もう電車に乗ったよ」とメールがあり、新幹線を使ったので、八時前には、もう僕たちの住んでいるところの最寄駅に着いていた。 アナは、ペルー風焼豚を作って、パンと紫たまねぎを買い、朝食用として持って来てくれた。焼豚を適当な厚さに切り、紫タマネギはスライスして、お酢とサラダオイルに浸し、塩とコショウとアヒー(ペルーの辛子)で味を調えた。パンに切れ目を入れ、レタスと紫タマネギと焼豚を挟み、マスタードをぬって、サンドイッチにして食べた。これは、妻が子供の頃、妻のお父さんが毎日、作ってくれたお弁当と同じものである。

 かなり、ボリュームがあり、ふたつ食べたら、おなかいっぱいになった。妻は、小学生の頃、毎日、お昼にはこれを食べ、それといっしょにインカコーラを飲んでいたという。この食生活のせいで、太ってしまったそうだ。妻とおとうさんとのエピソードは他にも聞けた。

 妻は子供の頃、盆栽を育てていたそうである。夏休み、旅行に行くとき、おとさんに盆栽の水やりを頼んで出かけた。旅行から帰ってくると、盆栽はあるのだが、旅行に行く前とは全く違うものになっていて、不思議に思ったそうだ。真相は、頼まれた水やりをおとさんが忘れてしまったため、妻の盆栽は枯れてしまい、娘を悲しませたくないおとうさんは、新しい盆栽を買ってきたということだったらしい。

 妻のおとうさんは非常に厳しい人で、怖がられていたそうだが、家族だけには優しかったという。盆栽の挿話を聞いたアナも、「あのおとうさんが、考えられない」と驚いていた。朝食をとりながら、想い出話をしていたのだが、テレビのニュースをきっかけに、熊谷の事件の話になった。

 熊谷で六人を殺害した容疑をかけられているペルー人の男性は、その前、アナと同じ伊勢崎に住んでいた。そのため、多くのマスコミが来て、ペルー人の集まる店などに取材に訪れたという。しかし、彼のことを、知っている人は、いなくて「わからない、知らない」ばかりだったそうだ。彼は、ほとんど誰ともコミュニケーションをとっていなかったらしい。

 彼の兄はペルー史上最悪の殺人犯で、その影響により、他人とコミュニケーションを取れなくなってしまったということもいわれた。日本には親しくしている親戚や知人、また友人もいなかったようで、工場内でも誰とも話さず、常にひとりでいたと同じ工場で働いていた人がインタビューでいっていた。

 ペルーに住んでいる彼のおばさんは、事件の動機を訊かれ、「孤独」と答えていた。異国の地で、頼れる人もなく、孤独だった彼に経済的な困窮が追い打ちをかけ、狂わせてしまったのかもしれない。

 アナが早い時間に来たので、横浜か鎌倉に遊びに行く予定だったのだが、スカイプでペルーに住んでいる妻と共通の友人であるパティと連絡をとったところ、話が止まらなくなった。僕は、お腹いっぱいになり、また、日曜日だというのに朝早く起きたこともあり、アナもパティと話しているからと、ちょっと横になったら、うつらうつらしてしまい、いつの間にか本格的に寝てしまった。

 起きると三時半を過ぎていたが、まだアナはスカイプでパティと話していた。ペルーは日本の反対側だから、現地は真夜中のはずである。起き出して、競馬中継を見ていたら、ちょうどいいタイミングだと思った妻が「そろそろ何処かに行きましょう」といい、アナもスカイプを終え、三人で出かけた。

 初めは中華街に行こうかとも思っていたが、アナは食が細く、時間も遅くなってしまったのでみなとみらいに行くことにした。横浜駅までバスで行き、そこから歩いてまずは臨港パークに向かった。せっかく横浜まで来たのだから、アナに海を見せてあげたかった。

 家を出たときは、直射日光を浴びると暑いくらいだったが、臨港パークに着いたときは、陽もかなり傾いて、海からの風が涼しいくらいだった。海からの風は気持ち良かった。しばらく、三人で臨港パークにあるアーチの上で、潮風を受けながら、ぼーっと海を見ていた。

 お腹も減って来たので、みなとみらい21地区に移動し、MARK ISで夕食を取ることにした。アナは、まだお腹が減っていないといったが、これから群馬まで帰ること考えると何かお腹に入れておいた方がいいと思った。レストラン街である四階を一周し、おぼんDEごはんに入った。メニューも豊富で、肉料理も魚料理もおいしそうだった。定食形式で料理が出されるのも、いろいろと食べられてうれしい気がした。

 僕と妻は、偶然にも同じ赤魚の唐揚げみぞれあんを、アナはあまり食慾がないということで、小海老とアボガドのサラダを注文した。赤魚の唐揚げみぞれあんは美味しかった。あんは薄味の和風あんで、ナスやアスパラなど野菜も多く入っていて、満足だった。食慾がないとサラダにしたアナだったが、このサラダが大盛りで、半分も食べることが出来ず、残りは僕が食べたが、小海老が新鮮でこれもまた美味しかった。

 食事を終え、東京駅までアナを送っていった。それほど、長い距離を歩いていないのに、朝早かったせいかアナは疲れていたようで、東海道線の中では熟睡していた。アナの帰った後、普段はあまり連絡をとっていない友達と会えたことで、妻は胸のつかえがとれたような表情を浮かべていた。(2015.9.25)




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