鋸山ハイキング 後編

 ‘地獄のぞき’では、先端に人一人しか行けないこともあり、順番待ちのような状態になっていて、訪れる多くの人たちは、家族連れかカップルだったため、一人が‘地獄のぞき’の先端まで行き、もう一人が展望台付近でその写真を撮るという状態が自然とうまれていた。

 一人が先端に行きポーズをして、展望台にいるパートナーが写真撮影をするということが繰り返されていたのである。妻も「先端に行ってくるから、写真撮ってね」と言い残し、‘地獄のぞき’に向かった。デジカメを渡され、始めはズームなどを調整して、いい画になるように構図を決めたりしていたが、この日は混んでいたため、なかなか妻の順番が回って来ない。‘地獄のぞき’の方を見て妻を探したが姿はなく、まだまだ順番は回って来ないと思い、待っていればいいものを、周辺の散策に行ってしまったのである。そして、その間に妻の順番が来てしまい、妻は展望台の方を見たが僕はおらず、写真撮影されることもなく、そのまま、‘地獄のぞき’の先端から戻ることになってしまった。

 散策から戻ると、ちょうど妻が‘地獄のぞき’の崖の先端から、こちらに向かってくるところだった。「何で、待っていなかったの?恥ずかしかったよ。ポーズとっても撮ってくれる人いないんだもの」と妻はいい、さらに「もう、泣きそうだったよ」ともいった。「待ち時間が長くて、ちょっと辺りを歩いていたら、順番がきてしまったんだ」と言い訳したが、そのときの妻の気持ちを思うと、いたたまれない気持ちになった。

 楽しかったハイキングが一気に寂しい気持ちになってしまった。妻は僕以上に、落ち込んでいるに違いない。俯きながら、大仏広場への長い長い下り階段を、一歩一歩と降り、何とか気持ちを立て直そうとしたが、それは容易ではなかった。

 600段を超える階段を下り、大仏広場に降りると、日本一の大きさの大仏が荒々しい岩山を背景に鎮座していた。先程の百尺観音と同じく異国情緒溢れる風景だった。背景には鋸山の稜線が見え、神秘的な景観を創り出している。鋸山の大仏の高さは31m、鎌倉の大仏は13mなので、倍以上の大きさである。

 大仏を背景に写真を撮ったり、売店でお守りを買ったりしている間に、やっと‘地獄のぞき’で寂しくなった気分が回復してきた。妻が売店に行っている間、帰路を確認してみると、結局、始めに来た西口管理所まで戻り、そこからロープウエイで降りるか、百尺観音を過ぎたところにある北口管理所から登山道を使って下山するかのどちらかしかないことがわかった。

 時計を見るとまだ三時前だし、ロープウエイを使わず、北口管理所から登山道を下りていく方が面白いような気がした。そして、どうせ百尺観音まで戻らなくてはいけないのなら、その先の‘地獄のぞき’にもう一度行って、やり残したことをやろうと思い、売店から帰って来た妻にそのことをいうと、妻は了承した。

 大仏前の参道を通り、西口管理所までの長い階段を上った。途中の、弘法大師護摩窟では、たくさんのお地蔵様が安置されていたが、その中に頭の無いものも多く、不気味な印象を受けた。不動滝、天台石橋を通り、何回かの休憩をはさんで、西口管理所に着いたときは、三時を過ぎていた。

 以前の鎌倉ハイキングの教訓から、三時半までには下山を開始したいと思っていたので、上り階段でヘロヘロになっている妻を急き立て、百尺観音に向かった。西口管理所から、 ‘地獄のぞき’まで通常10分で行けるようだが、もうかなりの距離を歩いているため、百尺観音の分岐から始まる上り階段を、妻は休み休み上り、倍近く時間がかかってしまった。

 しかし、時間が遅くなっていることが幸いし、‘地獄のぞき’には先程の行列が嘘のようにほとんど人がいなくなっていた。これは、ロープウエイが4時で終わってしまうためである。すんなりと突端に行けて、後の人を気にする必要もないから、3カット、ポーズを換えて撮影することが出来た。太陽がだいぶ西に傾いたので、崖から飛び出した岩の部分に横から陽が当たり、いい感じになっていた。

 階段を下り、百尺観音への道に入り、北口管理所に着くと、管理人がすでに片付けを始めていた。時計を見ると、三時半を過ぎている。日本寺の拝観時間は午後五時までだが、この時間では登山道を上り、北口管理所を経由する人はもういないということなのだろう。北口管理所を出ると、岩場のような道になり、急に下って行く。

 途中に切り通しのような所や階段などもあり、道の状態は悪くはないが、急な下り坂といった感じで、徐々に昔痛めた右ひざの後の部分が痛み出した。平坦や上りになっているところはいいのだけど、下り、それに階段になると一段降りるたびに、痛みが走った。しかし、この登山道からの景観は素晴らしかった。時間もちょうどよかったのだろう、木々の合間から斜陽が差し込み、木洩れ陽が美しかった。木々の間からは、眼下に金谷の街並みが、そして、雄大な富士が海の向こうに見えた。

 長い階段を下り終えると、看板のようなものが見えた。そこが、登山道の終点で、舗装道路になった。登山道の向かって左側の舗装道路は、石切り場や洞窟を周れる新道で、次に来た時はこちら側から下山したいなと思った。金谷の町は典型的な田舎町の風情で、日本の田舎にあまり馴染みのない妻は、興味深そうに広い敷地の続く家並みを見ていた。

 五時少し前に、金谷港に着いた。風が強く、海は荒れており、帰りのフェリーが心配になった。ちょうど日没時で、赤く染まる空に雄大な富士山のシルエットが海の彼方に浮かんでいた。

 夕食は、金谷港近くにあるザ・フィッシュで取った。二人とも海鮮丼を食べたが、ネタが新鮮で特にエビが甘くて美味しかった。18時20分発久里浜行きに乗り、帰路に着いた。(2014.1.15)




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