遭難

 日曜日、妻とハイキングに行った。金沢文庫から六国峠ハイキングコースを歩き金沢自然公園まで行き、そこからさらに天園ハイキングコースを辿って鎌倉まで行く計画だった。京浜急行の金沢文庫に着いたのは、二時を少し回ったくらいだった。後から考えれば、この時点でその後の悲惨な運命は決まっていたのかもしれない。

 西口を出て、線路に沿って流れる川沿いを歩き、住宅街に入り、六国峠入口の看板を探したが、何処かで道を間違えたようで、見つけることができなかった。住宅街を彷徨っていたら、偶然に能見堂跡地の標識を見つけたので、それに従っていくと不動池に出た。

 不動池のすぐ横にある谷津関ヶ谷不動尊に通じる急な階段を上ると小さな祠があり、目的の六国峠ハイキングコースに入ることが出来た。緑に囲まれた道を歩くのは気持ちがよかった。妻は道に落ちていたドングリを拾い、喜んでいた。

 道は高速道路の下をくぐり、しばらく歩いて行くと駐車場の脇に出た。金沢自然公園の駐車場で、ゲートの前にあるベンチでしばらく休んだ。時計を見ると、すでに三時半になっている。ここは今回予定したハイキングの中間地点だった。ここからはバスが出ているので、時間も時間だからバスに乗って金沢文庫まで帰ることも考えないではなかったが、約半分の距離を一時間半で歩けたのだから、五時前後には鎌倉に着くはずだと思い、予定通り鎌倉の天園に向かって歩きだした。

 急な登りも下りもなく、ごく普通の山道だったが、しばらくして妻が遅れ始めた。長い登りがあり、その坂を上がり切ったところのベンチで、休もうと後を見ると妻がいなかった。そこで待っていると、少しして妻がやってきて、ここで休憩すると言った。「休むのはいいけど、時間が遅いから短くね」というと妻は三分休むという。三分以上になりそうだなと僕は思い、じゃー少し先に行っているからと妻を置いて歩きだした。そうすれば、妻もそんなにゆっくりとは休まないだろうと思ったのだ。しかし、これがいけなかった。

 途中で高速の高架があり、橋を渡る道と下に降りる道に分かれており、ここで妻が間違える可能性もあるので、待っていたがなかなかやって来ない。まあ、いざとなれば携帯があるからと、僕はしびれを切らせて先に進んでしまった。

 高速道路の高架を過ぎて十分くらい経ってから、携帯に妻からの着信があった。高速道路の高架にいるが、どちらに行けばいいのかということだった。想像以上に二人の距離が離れていることがわかり、まずいなという気持ちになったが、細い山道が続いているため、待とうにも適当な場所がない。仕方なくゆっくりと歩き続けると、テーブルやいくつかのベンチのある広い場所に出た。

 そこにはハイキングコースの地図があり、それには所要時間も載っていた。それによると天園までは二十分となっている。時刻を見ると四時十五分くらいだった。そこからは天園に向かう道の他に、エスケープルートもあった。そちらに行けば、住宅街に出られ、何処か周辺の駅に向かうバスもあると思われ、どうしようかと迷った。しかし、折角ここまで来たのだから最後まで歩きたいという気持ちが強く、予定通り天園に行くことにした。

 時折り妻から携帯に分岐で道を確認する電話が入った。二人の距離はさらに広がっているようだった。しかし、天園まで二十分ということが、僕の判断を誤らせた。四時半を過ぎ、僕は妻を待たず、またしても一人で歩きだしてしまった。疲れが僕の精神状態をイラつかせ、また、この休憩で二人の距離は相当縮まっただろうという甘い読みが、間違った判断に繋がった。

 天園までの道は今回のハイキングコースの中で、一番味わい深かった。古道を思わせる切り通しの道が続き、もし、もう少し早い時間だったら、本当に楽しいハイキングになっていただろう。案内板の表示通り、二十分ほどで天園の茶屋に着き、そこで妻の来るのを待つことにした。

 しかし、妻は一向に現われない。茶屋に着いて二十分が過ぎた頃、妻から携帯に着信があり、ようやく案内板のある広場に着いたところのようだった。辺りはすでにかなり暗くなっており、僕は来た道を戻り、妻を探しにいった。妻から頻繁に携帯に着信が入り、「今はこんなものが見えるが、この道で正しいの?」と訊かれたが、僕も焦っていたせいであろうか、右手に見えていた墓地以外は全く記憶にないものばかりで、わからないというだけであった。

 茶屋を出て、十分くらい歩いたところで妻の姿を見かけたときには、本当にほっと安心した。妻は大声で文句を言っていたが、今は先を急がなくてはならず、また来た道を戻り返した。茶屋を見かけ、妻は休憩したいようだったが、辺りは薄暗く、陽の落ちる前に山を降りなければ、大変なことになると思い、先を急いだ。

 秋の日暮は早い。茶屋を過ぎて、しばらく歩いているうちに、足元がやっと見えるほどになり、気持ちはますます焦ってきた。そのうち、平坦だった道が、崖のような下りになった。足場は悪く、それもほとんど見えなくなっている。もしかしたら、暗くて標識を見落としたのかもしれないという恐怖が心を過ったが、或いはここが獅子舞と呼ばれている場所かもしれないと思い返した。

 急な下り坂は延々と続くように思われた。後からは妻の僕を呼ぶ声が、聞こえてくる。また、二人の距離が広がっているようだ。しかし、今は妻を待つより、少しでも足元の見えるうちに、道が続いているかどうか確認しなければならない。もし、道を間違えていたら、またこの崖を上り返さなければならないのだ。

 どのくらい崖を下ったであろうか、下りは緩やかになったが、足元には水が流れ、沢のような感じになってきた。道を間違えたという、恐怖が背筋に流れた。すでに陽は完全に落ち、辺りは暗くなっていた。半分、絶望的な気持ちになりながら、携帯のライトを点け、ほとんど見えなくなっていた足元を照らし、前に進んだ。妻の声が遠くから聞こえる。

 沢の中を進んでいくと、道が右手にあった。それもしっかりとした道である。僕は安堵のため息を吐き、来た道を戻り、まだ後方にいる妻に道があることを大声で叫んだ。しかし、妻からは何の返事もない。ほとんど足元の見えない中、足場の悪い下りで転び、頭でも打ってしまったのではないかという不安で、心が一杯になった。僕はさらに大声を張り上げ、道が見つかったと叫ぶと、「本当?」と妻の声が遠くから聞こえた。沢のところまで戻り、待っていると、しばらくして、妻は僕に追いついた。何で返事をしないんだと問い詰めると、警察に連絡しようと思っていたといった。

 携帯で足元を照らしながら歩いて行くと、道は徐々に広くなっていき、やがて住宅街の一角に出た。自然と顔が綻んだ。時計を見ると六時少し前だった。暗い中、光を放っていた自動販売機で飲み物を買い、鎌倉宮まで行くと、ちょうどバスが来ていた。バスに乗り、足元を見ると、二人とも泥だらけになっていた。(2010.10.23)




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