アナとルイサ

 結婚してから、正月休みの過ごし方が、全く変わってしまった。独身の頃は本を読んだり、テレビを見たり、CDを聴いたりして過ごし、それに飽きたら、初詣やバイクで何処かに行ったりしていた。

 結婚後は、常に出かけて誰かと会っているという感じである。この正月も12月28日から1月5日まで9連休だったが、一日中家にいたのは1月4日だけだった。人と会うことが苦手な僕にとっては、休んでいる気分にはとてもなれない日々が続いた。ただ、苦痛ばかりというわけでもない。いろいろと考えさせられる話を聞けたりする。

 1月2、3日と妻の友人で群馬に住んでいるアナが遊びに来た。以前、ここで書いたが、彼女は約1年前、会社を解雇された。その後、三カ月くらいペルーに帰っていたが、日本に戻って来た。どうやって生活をしているのだろうと妻と心配していたのだけど、最近になって働き始めたという。面接に行った会社の課長が、偶然にも前に働いていた会社の課長だったそうである。その課長さんは、工場の閉鎖により子会社に出向になり、そこにたまたまアナが面接にいったというわけだ。

 「1年も休んでいたら、ほんとに仕事するのがイヤになっちゃった」と彼女は笑っていたが、休んでいた間はヨガなどをやっていたという。雇用保険で食いつないでいたらしい。夜勤をしていたため、給与はよかったようである。人付き合いのあまり得意ではない彼女は、できればまた夜勤で働きたいというが、県内の半導体工場は撤退したり、海外に生産拠点を移してしまったりして、希望する働き口はなかなかないという。

 だが、彼女はそれほど仕事に拘ってはいない。「もう年だし、ぜいたくはいっていられない」というわけだ。現在の仕事も単純作業の繰り返しというが、仕事があるだけましと考えているそうである。妻が「いつかは独立して、何か商売をしてみたい」というと、「ぜいたくだよ」とあっさりいわれていた。現実を受け止め、あまり夢は見ないというのが、彼女のスタイルである。

 妻の一番の友達はルイサだが、僕は彼女と会ったことはない。それは、彼女が沖縄に住んでいるからだが、かなり頻繁に電話をしてくるので、何回か話したことはある。彼女の悩みはいつも同じで「仕事がない」ということである。といっても、ずっと無職というわけではない。働き始めても、すぐにクビになってしまうのである。

 人当たりもよく、コミュニケーション能力も高く、クリスマスシーズンにはパネトーネ(イタリアの伝統的なパン菓子。クリスマスシーズンに合わせて販売される)の販売を個人的にするくらいなので、仕事が出来ないというわけではないらしい。旅行に行くと、スーツケースに荷物を入れるだけで、数時間かかってしまうという要領の悪さが原因のようだ。

 昨年の秋、「いい仕事に就けた」とルイサから電話があった。どんな仕事か訊くと、営業事務だという。連日、残業続きで忙しくて仕方ないということだったが、声にうれしそうな響きがあった。今までは販売の仕事がメインだったので意外に思ったが、暮れに雇用契約が切れ、また、仕事がなくなってしまった電話があった。

 ハローワークに行ったが、年齢のこともあり、清掃の仕事ばかりをすすめられるという。人と接することの好きな彼女にとっては、あまり触手の動かない仕事である。しかし、ルイサは「年齢がいっているとマイナスのようにいわれるけど、それだけいろいろと経験しているということだからね」と諦めずに自分のやりたい仕事が見つかるまで探すといっていた。

 年齢の同じふたりの女性でも、アナは「年だから、仕方ない」と諦め、ルイサは「年だから、それだけ多くのことをしっている」と前向きである。もともと、妻の友達の中で正反対の性格といわれているふたりだが、年齢に対する考えの違いは鮮明で興味深い。もっと厳密にいれば、視点の違いである。

 アナは「世の中は、こうなっている」と現実を直視し、ルイサは「私は、こうだ」と内的真実を重視している。どちらが正しくて、どちらが間違っているということはない。或る意味、どちらも正しいといえる。現在の社会状況を考えると、アナの方に分があるだろう。それは当然で、現実を見て、それに逆らわない行動をしているからだ。しかし、ただ現実に流されるだけでいいのだろうか?という疑問も浮かんでくるし、また、隠れた現実もあるのではないかという思いもある。

 ともかく、今年は、誠実に生きようとしている人たちにとって、陽の当たるような年になってもらいたいと祈っています。(2014.1.22)

PS:ハローワークでは清掃の仕事ばかりすすめられていたルイサは、粘り強い求職活動の末、小さな不動産屋に就職することができた。




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