金沢文庫散歩

 ここのところ寒い日が続き、さらに競馬のGIシーズンのため、妻と外出する機会が減っていた。日曜日、久しぶりに暖かくなったので、午前中に馬券を買って、午後から妻と金沢文庫まで行ってきた。

 京急線に乗って金沢文庫駅で降り、まずは称名寺に向かった。称名寺は金沢北条氏の祖といわれる北条実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂がその起源とされていて、駅から約一キロのところにある。住宅街の中を歩いて行くと、レトロな感じの商店や、雰囲気のいい床屋さんがあったりして、楽しい。称名寺に向かって上っていく感じで、意外と距離を感じる。

 住宅街のだらだらとした坂を登り切ったくらいのところに、称名寺の赤門がある。赤門をくぐると参道があり、その両脇は桜並木で、お茶屋さんや雑貨のお店や普通の民家が並んでいる。雑貨店には手織りのバッグやストールなどがあり、手織りを習っている妻は、興味深そうに手に取ってみていた。

 参道の途中に、景色のいい門があったので、その前で妻の写真を撮った。家に帰って調べてみたら、光明院というお寺の表門で、横浜市最古の建築物だそうである。

 参道を歩いて行くと仁王門がある。二階建ての荘厳な建物で左右には、高さ四メートルの巨大な金剛力士像が安置されており、睨みを効かせている。ただ、現在は仁王門をくぐることはできず、仁王門横の通用口から境内に入る。

 境内で最初に目を引いたのは、大きな池とそれに架かる朱色の半円状の橋だった。池は阿字ヶ池といい、それに架かる半円状の橋は反橋という。反橋を上っていくとその先にもうひとつ平たい橋のあることに気づく。この橋は見た目の通り平橋という。平橋の上から池を見下ろすと、カモが泳いでおり、その下に大きな鯉が見えた。

 カモが可愛かったのでしばらく見ていると、体を九十度回転させ、お尻を真上に向けて水中のエサを探しているのもいた。何故か、そのカモは他のカモからよく突かれていた。エサの取り方がうまいから、狙われていたのだろうか。

 橋を渡り終えると、目の前には称名寺金堂が見え、その向かって右に茅葺屋根の釈迦堂がある。金堂にお参りをして、浄土庭園を歩いていたら、トンネルのようなものが見えたので、近くまで行ってみると金沢文庫に抜けるものだった。

 金沢文庫は実時が収集した書籍を納めていた建物で、現在は博物館になっている。何故、文庫を敷地内に建てず、山一つ越えたところに建てたかというと火事を怖れたからだという。現在、使われているトンネルの横には、鎌倉時代に掘られたトンネルも保存されている。

 称名寺を後にして、海の公園に向かった。海の公園は横浜市内で唯一海水浴のできる砂浜があり、バーベキュウ施設なども併設されている。砂浜の長さは約一キロに及ぶ。正面入り口から、公園内に入り、砂浜を妻とふたりぶらぶらと歩いた。妻は久しぶりに歩く砂浜の感触が気持ちよかったらしく、楽しそうだった。時期が時期だけに、砂浜には人が少なかったが、ひとり波と戯れている中年の女性が新鮮だった。

 だいぶ陽は傾いていたが、野島公園に向かった。公園の入口から展望台まで、かなり勾配のきつい上り坂で妻は息を切らせていた。ゆっくりと坂を上る僕たちを、六十代くらいの女性がジャージ姿で追い越していった。妻は彼女の姿を見て、溜息をついた。

 展望台に着いたとき、すでに陽は山の稜線ぎりぎりのところまで落ちていた。その左側に、富士山が見え、空にはトンビが何羽も舞っていた。トンビは風を翼にはらみ、空中の一点で静止しており、時折り地上に向かって急降下した。そういえば、以前、鎌倉の海岸で食べていたおにぎりを背後から急降下してきたトンビにさらわれたことがある。空中に止まり、望遠レンズのような目で、地表近くにいる獲物を狙っているのだろう。

 陽が山の稜線に半分くらい沈んだ頃、展望台の下にあるトイレに寄っていた妻が上がって来た。ベンチに座り、公園の入口の近くにあった自動販売機で買ったお茶を飲みながら、沈みゆく夕陽を二人で眺めた。海の公園はカップルや家族連れが多かったが、何故かこの小山の上にある展望台には、男性、それも独りで来ている人ばかりだった。空では二羽のトンビが空中戦をしていた。一羽が右に旋回すると、それを追ってもう一羽も右に急旋回し、左に旋回すると、それにならって左に旋回し、後を追った。陽が山の稜線に落ち、寒さが強くなったので、展望台を下り、帰路に着いた。

 野島公園まで来ると、金沢八景駅が最寄り駅となるのだけど、そのことをすっかりと忘れていて、金沢文庫駅をイメージしていたのが間違いの元だった。金沢八景から野島公園に行った記憶も曖昧に残っていたため、混乱してしまったのである。暗くなった不案内な住宅街の道に迷い込み、歩き回ったあげく、海の公園に逆戻りしてしまった。仕方がないので、行きに辿った道を歩いて、ようやく金沢文庫駅に着き、家に帰ったときには七時を回っていた。

 この日は、衆議院総選挙の投票日だった。家に帰って、すぐに近所の小学校まで投票に行った。投票所に着き、投票用紙を渡され、鉛筆を握ってからも、何処の政党に投票しようか迷っていた。(2012.12.24)




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