新鶴見操車場跡地

 ここのところ暑い日が続き、そのためか体の疲れが取れないようで、休日はうつらうつらしていることが多い。しかし、家の中で一日ごろごろしているというのも、精神衛生的によくないので、ぶらぶらと散歩に出かけた。

 家の近くはあまり散歩には適していない。住宅と工場の入り混じった風景で、どの方向に行っても、少し歩くとすぐに幹線道路に出てしまうため、気分が盛り上がったり、のんびりと佇むのに適したところがないのである。したがって、暑いのを少しがまんし、ちょっと遠出をして、新川崎駅の南側に広がる新鶴見操車場跡地周辺まで行ってみた。

 かつては東洋一といわれた新鶴見操車場跡地は、現在は広大な空き地に草が生い茂った風景が広がっているが、一部は再開発され、公園化されたり、ホームセンターや企業、またはマンションなどが建っている。

 横須賀線の高架をくぐり、貨物線の線路を越えると線路に沿って坂道があるので、それを上っていくと、かつては陸橋の架かっていた場所に出る。現在は仮設の陸橋がかかっていて歩行者と自転車は通行できるようになっていて、陸橋の横には、ホームセンターに来る人たちのための五階建てくらいの巨大な駐車場がある。

 このホームセンターでは、何回か鉢植えの植物を買ったり、併設されているスーパーで夕食の買い物をしたこともあり、それで、この跡地のことを知っていたのである。今回は、ホームセンターの方ではなく、あまりいったことのない新川崎駅方面にいってみることにした。

 以前は、新鶴見操車場跡地に沿って高い塀があるだけだったが、きれいな歩道ができていた。街路樹も植えられて十分に広いが、塀の内側はまだ草の生い茂る空地が続いているためか、歩いたり、自転車に乗っている人をあまり見かけない。

 小倉陸橋まで来ると、その下でキャッチボールをしている三人連れの親子がいた。兄と思われる少年が投手で、父親がキャッチャー、弟がバッター役をしていた。弟はただバッターの位置に立っているだけで、兄の投球の手助けをしているようだった。陸橋の下には陸橋と並行して道路が伸びていた。この道路は最終的には、どうなっているのだろうか?と気になったが、三人の野球の練習を邪魔してしまうので、歩道を歩き続けることにした。

 陸橋を過ぎると、パイオニア本社がある。まだ比較的新しいようで、社屋に沿って右折して歩いて行くと、小倉陸橋の方向へ戻る線路沿いの道があることに気づいた。この道を歩いていけば、先程の陸橋の下の道に出るのではないだろうかと思った。人っ子一人いないのは不気味な感じもするが、立ち入り禁止の看板もないし、歩いていけないことはないだろう。

 誰もいない線路沿いの道を陸橋に向かって歩いていると、この道から陸橋に階段が架かっているのが見えた。この階段は、将来この近辺に出来るマンションなどの住人のための、小倉陸橋へのエスケープルートとして想定されているのだろう。階段を上って家に帰ろうかとも思ったが、やはり陸橋下に道と繋がっているかどうかを確かめたい。

 階段を通り過ぎて歩いて行くと、思っていた通り、陸橋下の道と繋がった。角を曲がって歩いていけば、先程の野球親子に出会うはずである。陸橋下の道に入ろうとして、僕は足を止めた。アスファルトのいたるところに干からびて死んでいるミミズの死骸があった。避けて歩くことが困難なほどの数である。何故、これほどのミミズがアスファルトの上で、死んでいるのだろう?

 道路のすぐ横は草の生い茂っている操車場跡地である。ミミズたちは、そこから出てきたのだろう。しかし、いったい何故、アスファルトの上などに出てしまったのか?反対側は、陸橋の橋げたがあり、金網で覆われており、雨があたらないため、土はカラカラに乾ききっている。

 雨の降った後、土の中が水で飽和状態になり、苦しくなったミミズが地上に出てくると聞いた記憶はあるが、定かではない。しかし、この八月はほとんど雨は降っていない。とすると、逆に土が乾き過ぎて、水を求めて出てきたのかもしれない。または、新天地を求めて旅に出ようとしたのだろうか?理由はともあれ、不幸にもアスファルトの上にいってしまい、陽に照らされ、干からびてしまったのだろう。

 できるだけ、ミミズの死骸を避けながら歩いていくと、野球親子がいた。長男と父親は熱心に投球練習をしていたが、次男は飽きてしまったのか、辺りをぶらぶらしていた。僕は彼らの横を通り過ぎ、初めに歩いてきた歩道に戻り、帰路についた。(2012.9.4)




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