ペルーからの贈り物

 工場を解雇され、四月にペルーに帰っていた妻の友人のアナが日本に戻ってきた。もともと、二ヶ月くらいペルーでゆっくりしたら、日本に戻ってくる予定で、工場閉鎖にともなう解雇を‘いい休暇’と前向きに考えることにしていたらしい。ペルーでは、友人たちといろいろな所に遊びにいって、十分楽しんだという。

 彼女の友人は妻の友人でもあるため、アナはその友人たちから預かった妻へのお土産を郵送してくれたが、仕事から家に帰るのが遅かったり、たまたま家の呼び鈴が壊れていて、宅急便が来たのに気づかなかったりして、なかなか手元に届かなかった。妻はいつになく、いらいらして、何回か業者に電話をかけ、やっと日曜日の昼過ぎ、大きな荷物が届いた。

 そのとき、妻は二階で洗濯物を干していたので、僕は荷物の来たことを知らせなかった。洗濯物を干し終え、一階に下りてきた妻はペルーからのお土産のつまったダンボールを見て、「すぐに知らせてよ」と僕にいった。ペルーからの荷物は妻にとってただのお土産ではない。長年会っていない友人たちの想いの籠った宝石箱のようなものだったのである。生まれて以来、外国で暮らしたことの無い僕には、そのことがよくわかっていなかった。

 ダンボールの中には、大量のチョコレートと今の妻にはぴちぴちのジーンズが三本、ペルーの調味料などが入っていて、あまりの懐かしさに、妻は涙ぐんでいた。よく考えてみれば、この前ペルーに里帰りしたのは、もう六年前ということになる。祖国離れて暮らすことの寂しさを、僕は実感することができない。

 実は妻もアナがペルーに帰るとき、友達への贈り物を託したのである。しかし、デパートで買ったというお菓子が不評で、一人の友達からは「あれは、おいしくなかったから、もう送らないで」とメールが来たそうだ。日本でそんなことをいったら、いかに仲のいい友達だとしても不愉快になるだろうし、また、思ったとしてもいわないだろう。しかし、物事をはっきりいうのは、ペルーでは当たり前のようで、妻も笑っていた。

 しかし、妻の贈ったお菓子は、大きなデパートの食品街で買ったものだから、それほど酷いものとは思えない。恐らく、‘不味い’というより、‘口に合わなかった’のだろう。そういえば、妻の友人にエステルという女性がいるのだが、彼女にも同じようなことがあったらしい。

 エステルは現在三十代後半の既婚の女性だが、二十代前半から日本で暮らしていたため、日本のものは何でも食べることができる。妻はネバネバしたオクラやトロロ、納豆などは食べられないが、エステルは全く平気だそうである。或いは、日本で暮らした期間が長いということだけではなく、ただ単に何でも食べられるタイプの人間なのかもしれない。

 そのエステルが二年前の夏休み、ペルーに帰郷した。お土産として、小魚の珍味を持っていったそうである。エステルは、それが大好きで、カルシウムも豊富なため、骨の弱ってきた両親や育ちざかりの子供のいる兄夫婦の家族にはちょうどいいと思ったそうであるが、一口食べただけで、これはまずいと誰も手をつけなくなったという。さらに、エステルの母が持病の薬を飲むのを渋ると、エステルの父が「薬を飲まないなら、エステルの小魚を食べさせるぞ」というようになったそうである。‘エステルの小魚’を食べさせられるよりは、まだ薬の方がましというわけだ。

 ふつう、自分の持っていったお土産がこのような扱いを受けたら、悲しくなりそうだが、ペルーでは笑い話になってしまう。まあ、小魚の珍味はペルーにはないものだから、口に合わなかったにしても、仕方ないかもしれない。

 妻は贈ったお菓子を‘おいしくない’といわれたことについては、何とも思っていないが、量については引け目を感じているようだ。友達から贈られたお土産に比べ、自分の贈った分があまりにも少なかったというのである。こちらは、一人で三人分を贈るのであるが、あちらは三人がそれぞれ妻に贈るのだから、よく考えてみれば仕方ないことだが、実物を目の前にするとついつい溜息ということになってしまう。

 そして、とどのつまり ‘お金がもっとあれば…’というところに行きつく。友達たちから贈られたたくさんのお土産を見て、多過ぎるお土産は時には暴力であるというようなことを思った。

 そんなことを思っていたら、今度はペルーに住んでいる妻の二番目の姉ヒロミから、大量の桃が届いた。今はインターネット時代、日本の反対側のペルーからでも、和歌山県の産地直送の桃を注文できる。しかも、これは今流行りの‘わけ待ち商品’だった。(わけ待ち商品とは、製造や収穫の過程で発生するであろうわけあり商品を予約すること)情報を仕入れる早さも、大したものだと思った。

 ヒロミには世話になりっ放しである。ペルーに行った時は披露宴会場の手配から、その費用、さらには新婚旅行のイキートス、クスコ、マチュピチュの代金までお世話になった。恐縮するという言葉があるが、この言葉を僕ほど実感している人間も少ないのではないだろうか?(2012.7.15)




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