営業のYさんが、「外回り、クビになっちゃったよ」と声をかけてきた。びっくりして、どういうことか事情を訊くと、車で得意先を周る仕事から、内勤に変わったらしい。外回りの人が休みのときは車に乗るが、それ以外は社内での営業事務に従事するという。 Yさんは以前、同じ職場で技術系の仕事をしていたのだけど、当時のリーダーを反りが合わず、営業に異動になった。営業とはいっても、車で得意先を周り、品物を納品するついでに次の仕事を請け負ってくるのが主な仕事で、集配といった方が近いかもしれない。したがって内勤に変わったということは、必ずしも悪いことではないように思えるのだが、Yさんは何事も冗談めかして話すので、いまひとつ、それがどういう意味を持つのかわからなかった。 ところが、先日の朝、偶然に営業の朝礼に出くわすと、何とYさんが所長の隣に立って、何かを話しているではないか。これはひょっとしたら、左遷などではなく、逆に副所長にでも昇進したのではないか、‘クビ’などという言葉を使ったのは、Yさんの照れ隠しだったのかもしれないと思った。所長も今年で定年だし、ひょっとするとYさんが次期所長ということもあり得るような気がして来た。
内勤に変わったわりには、なかなかYさんと話す機会が訪れなったのであるが、少し遅くまで仕事をしていた日に、ひょっこりとYさんがフロアにやってきた。
世間にはパートから社長に上りつめた例もあるようだが、現状はアルバイトはずっとアルバイト、パートはずっとパート、契約社員はずっと契約社員というように、身分の固定化が進んでいるように感じられ、江戸時代の士農工商穢多非人という言葉さえ、思い起こしてしまう。それが閉塞感と無力感の蔓延している原因のように思われる。 |