現在、住んでいる借家には狭いながらも庭がある。そこにはモクレン、モミジ、梅など5、6種類の木々が植えられており、7月になると大家さんがやって来て、伸び過ぎた枝を切ったり、家の周りに生えた雑草を抜き、手入れをしていく。

 僕はどちらかというと、緑の多い方が好きなので、枝を切られたり、雑草を抜かれて茶色の土がむき出しになるのは暑苦しく思え、あまり気分はよくないのだけど、借家なので仕方ない。いや、むしろ、こういった手入れは、木々の枝を切るのはともかく、雑草を抜くくらいは大家さんの手を煩わせず、自分たちで行わなくてはいけないことなのだ。

 先週、大家さんが庭に手入れにやってきた。一年に一度のことで、だいたい毎年7月の下旬なのだが、昨年は孫が訪ねてくるとかの事情で手入れの行われたのは6月だった。そのため、手入れと手入れの期間が長くなり、木々の枝は、特にモクレンは二階のベランダを越えるくらいに伸びに伸びていた。

 雑草なども普段は全くほったらかしにしているから、それも合わせてかなりの重労働になってしまったようである。この間に僕たちの行った手入れは梅の木に大量に発生したアリマキを退治するために、牛乳を薄めてまいたくらいだった。十時くらいにようやく妻が起き、庭で作業をしていた大家さんに挨拶にいくと、近所の主婦と井戸端会議をしていた隣の奥さんがやってきた。

 春くらいから妻はプランターに草花の種を植えたり、クチナシやジャスミンの鉢植えの手入れをしたりと庭に出ることが多くなり、垣根越しに隣の奥さんとの交流が生まれたようで、仲がいいのである。隣の奥さんはよく気の付く人で、ほとんど何の手入れもしない僕たちを弁護するように、この前、Jちゃんに雑草の抜き方を教えただとか、ご主人は町内会の幹事をよくやってくれているなどと大家さんに言ってくれたようだ。

 お昼を少し過ぎた頃、「終わりましたから」と大家さんに声をかけられ、外に出てみると大きなゴミ袋が4つに小さなゴミ袋が2つ、さらに切った木の枝を結わいて束にしたものがひとつあった。昨年は大きなゴミ袋が3つくらいだったから、今年は如何に大変だったかよくわかる。

 小さな庭であるが、これのおかげでずいぶんと生活が楽しくなっているように思う。庭には木々だけでなく、小さな石灯籠などもあり、眺めていると風情が感じられ、しみじみとしていい。石の門柱には毎年セミの抜け殻が見られ、庭の地中にセミの幼虫のいることがわかるし、木々があるからいろいろな小鳥がやって来て楽しい。特に朝、小鳥の鳴き声で目の覚めるのは、何ともいえないいい気持ちになる。

 剪定までの期間の長かったためか、昨年は見られなかったモクレンの花を、今年は二階のベランダから見ることができた。秋になれば虫が鳴き出すし、身近にある小さな自然である。

 よく考えてみると、今まで僕は庭というものを持ったことがなかった。生家は一軒家だったが、東京23区内の街中だったため、物置に通じるわずかな小路だけしか土を見ることはなかったし、その後はマンションやアパート暮らしだった。前に住んでいたアパートは、わずかに木々の植わった空間があり、僕はそこに小学生のとき祖父に買ってもらった鉢植えのひめりんごを植えたのだけど、それは自分の庭ではないということを思い知る結果になってしまった。

 庭の手入れをしていた大家さんに妻はプレンターの草花を庭に植えてもいいよ言われたという。やっと芽の出たおしろい花は秋にどんな花を見せてくれるのだろうか?(2009.7.25)




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