義兄の解雇

 1月21日午後5時過ぎ、妻の携帯に姉からメールが入った。メールの内容は「フェルナンドがクビになった」という義兄の解雇を知らせるものだった。1月22日、フェルナンドは仕事が休みになったため、義姉といっしょに昨年買ったマイホームに設置するキッチンを見に行く予定だった。その前日に解雇を言い渡されたということになる。

 解雇になる日付を妻に訊くと、1月末だという。1月末ということはもうあと10日だ。解雇通告は少なくても1ヵ月前には言い渡さなければいけないはずで、それができなければ、その分の賃金を払う義務が雇用主側には生じるのではないか。あっさり解雇を受け入れないで、会社と交渉した方がいいと言うと、妻はそのことをメールで義姉に知らせた。

 翌日の早朝、義姉からメールが妻に来ていた。解雇は昨日言い渡されたのではなく、1ヵ月前だったという。しかし、フェルナンドはそのことを家族に伝えることができなかったそうだ。このことを妻から聞いて、2度目の衝撃を受け、再び痛みが胸に広がった。

 1ヵ月前というと、遅くなってしまったクリスマスパーティをしたときには、すでに義兄は解雇を言い渡されていたことになる。この時は暗い話が続いたが、それは急激な景気悪化に伴う派遣切りの中で、それほど気にはならなかった。あまりに暗い話が周囲には溢れていたため、保護色のようになっていたのだ。ただ、今、思うとおかしかったこともある。

 この日、フェルナンドは「明日は仕事があるから」と10時前に寝室に入ってしまった。その時は疲れがたまっているせいだろうと、あまり気に止めなかったが、そのようなことはそれまでは一度もなく、人知れず悩んでいたのかもしれない。また、元旦にTiaシズの家を訪ねたときも、普段の社交的なフェルンドではなかった。早朝、義姉と初詣に行ったときの気持ちを想った。

 安い賃金で働かせ、景気が悪くなったらお払い箱にする。いつから人間は人間でなくなってしまったのか…。期間工として働いた経験を書いた鎌田慧さんの著作「自動車絶望工場」の中では、自分たちのことを‘乾電池’と表現しているが、全くそうだ。性能が落ちれば変えられ、機械を動かす必要がなくなれば捨てられる。

 その後、義姉のメールから義兄と同じ自動車会社で働いていた派遣労働者130人が解雇されたことを知った。(2009.1.26)




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