新年の集まり

 大晦日というと、妻のおばさんにあたるTiaシズの家に行くことになっている。しかし、今年はペルーに住んでいるTiaシズの姪が12月に亡くなったため、妻と義姉が相談して元旦に行こうということになった。

 亡くなったTiaシズの姪はまだ40代で、腎臓に障害があり、若い頃に移植手術を受けていた。彼女は前向きな性格で病に苦しめられながらも、新しいことに次々と挑戦していたというが、今度は「もう疲れたから、行かせて」と家族に語っていたという。

 そのような事情で、静かに新年を迎えようということになり、僕と妻は僕の実家の方に行くつもりだったが、母が急に用事ができたということになり、横須賀に遊びに行った。何故、横須賀に遊びに行ったのかということを答えるのは難しい。ただ、単に僕が行きたくなったからである。

 横須賀から9時くらいに家に帰ってきて、妻が携帯を見ると義姉から着信があったようで、電話をかけて、義姉がTiaシズの家にいつも通りに行ったことを知った。何でも、Tiaシズに「今年はいつもと事情が違うから妹と相談をして、元旦に行くことにした」と言ったら、「寂しいから、いつも通り来てよ」ということになったようである。

 義姉に電話すると「これから来て」ということだったが、妻はAji de Gallina(鶏肉のイエローペッパーソース煮)という料理とarroz con leche(牛乳ライス)というデザートを作って持って行くつもりだったので、当初の予定通り「明日行く」ということになった。

 この大晦日の集まりはいつも多くの人がやってくるので、ついつい気遅れしてしまうのだけど、今年に限っては大晦日組と元旦組に分かれそうで、この時は少しほっとした気分になった。しかし、翌日、それは甘い考えだったことがわかった。

 初めは元旦の2時から3時くらいに出かける予定だったが、妻の料理が遅くなり、家を出たのはもう4時半を過ぎていた。妻が義姉に電話をすると、昨晩はTiaシズの家に泊まり、朝7時に起きて夫のフェルナンドと初詣で行き、その後、Tiaシズの三女のメグに家によってのんびりとしていたようだが、今はまたTiaシズの家に戻ってきたという。義姉の次男のタカは今年高校受験だから、そうそうのんびりもできないはずだが…と他人事ながら気になった。

 電話の雰囲気だと義姉一家とメグ一家はTiaシズの家のいるのは確実だが、他はどうなっているのだろう?この二家族だけなら、気心もまあまあ知れているし、気楽なんだがと思い、Tiaシズの家の玄関のドアを開けると、靴、靴、靴…。足の置場もないとはこのことである。結局、Tiaシズの亡くなった夫方の親戚はほとんど全員集合だった。

 総勢約30名である。居間には何処にも座る場所がないので、奥の部屋を覗くとフェルナンドが子供たちとご飯を食べていたので、その横に座った。やはりタカは受験があるので食べ終えたら、すぐに帰るという。よくよく話を聞くと、ほんとは初詣に行ったその足で帰宅するつもりだったが、タカが故意かどうかはわからないがTiaシズの家に荷物を置いてきてしまったので、戻ることになってしまったらしい。自身の仕事の心配もあるのだろうか、フェルナンドの顔色が冴えないような気がした。

 フェルナンドたちが帰ってしまうと、奥の部屋には僕と後から来た中学生くらいの男の子だけになってしまった。彼の顔は以前に見たことはあるのだけど、どういう関係の子なのかわからず、気まずい。そのうち居間の方から席が空いたので来てと言われて、ほっとした。

 居間にいる人たちは一応全員わかった。出された沖縄料理を食べ、ワインを飲みながらいろいろと話した。日本語での会話が多かった。僕のこの集りに気遅れしてしまうひとつの理由はみんなが僕に気を使って、あまり得意でない日本語で会話をしなくてはならなくなることだった。しかし、それは全く気にしなくていいような気がした。彼らは日本語を話すことを愉しんでいるように思えたからだ。そして、僕がこの集りに気遅れしてしまう本当の理由もわかった気がした。自分に自信がないのだ。

 しばらくして、メグの夫のミチオとTiaシゲの夫の弟の子のノリと3人で奥の部屋に移った。メグとは同じ職場で働いていた関係でミチオとは今までに何回か話したことはあったが、ノリとはじっくりと話したことはなかった。彼は30代半ばの男性で妻はアルゼンチンの人でショウゴという子供がひとりいる。いつしか音楽の話になっていた。

 「どんなの聴いているの?」とノリが訊いてきた。
 「イギリスのポップミュージックをよく聴く」
 「どんなの?」
 「知っているかな?ブラーとかゴリラズとか」
 「うーん、わからない。日本のは?」
 「日本のはあまり聴かないな」
 「でも、何か聴くでしょ?」
 「そうだな…。あ、元ちとせはCD買ったな」
 「元ちとせ聴くんだ」
 「そう。好き?」
 「だけど、歌うの難しいよ」
 「そうかも。後は椎名林檎とか橘いずみとか、橘いずみは知らないよね?」
 「知らない。他には?」
 「そうだな、徳永英明とか、そう、そう、昔は中島みゆき好きだったな」
 「暗いの好きだね。中島みゆきとか椎名林檎とか」
 「そうかな?ノリはなに聴くの?」
 「オレ?」
 「そう」
 「前川清」

 初めは冗談を言っているのかと思ったが、彼はほんとに前川清の大ファンだったのだ。前川清のコンサートに2回行き、1回は舞台上の前川清と握手もしたという。ペルーで生まれ育った彼が何故前川清のファンになったのか興味のあるところで、ミチオは「それしかレコードが無かったんじゃないの?」と言って笑っていた。

 しかし、それはある程度当たっているのかもしれないと思った。ペルーで生まれ育った彼が何故…というより、ペルーで生まれ育ったからこそ前川清にファンになったように思う。日本ではどうしても同年代の中で流行っている音楽に引きずられてしまう。しかし、ペルーでは前川清などを知っている同級生はいないはずで、馬鹿にされることもなく、純粋に自分の好きなものを聴き続けることができたのではないだろうか。コンサートに行ったのも当然で、来日して、それまではレコードの中だけに存在していた人物が現実に観られるからだ。

 ノリは前川清だけでなく、演歌が全般的に好きで、逆にサルサとかは全く興味がないらしい。
 「ジェロどう思う?」と彼に訊かれたので
 「いいんじゃないかな?日本語の発音も完璧に近い」と言うと、首を振り
 「あまり、良くないね。歌があまりうまくない」と言った。

 ミチオによりと、ノリはかなり歌もうまいようで、カラオケに行っても演歌ばかり歌っているらしい。
「ノリといっしょにカラオケ行くのイヤなんだよ。彼の後で歌うのはきついよ」とミチオは言った。(2009.1.7)




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