Feliz Ano Nuevo!

大晦日、いつの間にかJさんのおばさんの家に行くことになっていた。

 日本でもお付き合いしている人を家庭に招待したりすることはよくあることだと思うが、それを絶対にしなくてはならないということはない。結婚が決まって初めて挨拶に行くという場合も多いはずだ。しかし、ペルーではそのようなことは絶対にないそうで、友達の段階でも、付合っているとなったらなおさら、家族に会っておかないといけないという。

 Jさんの家族は平塚にいるお姉さん夫婦だけであるが、親戚はいっぱいいて、特に日本での親代わりになっているというTiaシズ(しずおばさん)のところには近いうちに行かないといけないと12月の後半に言われた。それはペルーのJさんの実家でも問題になっているらしく、「何でJは、付合っている人をTiaシズのところに連れて行かないの!」とペルーにいるJさんのお母さんは言っているという。

 Jさんのお母さんはJさんと付合っている僕が日本人であることを心配しているらしく、日本にいる親戚に電話をかけて話しを聞こうとしたようで、平塚のお姉さんが「大人しそうな人で、ケンカしたらJが勝ちそうよ」と言ったので少し安心したらしいが、念のためとTiaシズにも様子を訊こうと電話をかけて、未だに僕を会わせていないということがわかり叱責となったわけである。

 Jさんが言うには大晦日から元旦にかけてはTiaシズの家に多くの親戚が集るのでいちいちあちこち行く手間が省けて一番いいという。僕として、多くのペルー人(とはいってもみんな日系だから見た目は日本人なんだけど…)の中にひとりの日本人で、あまり言葉も通じそうにないし不安であったが、同じ職場で働いている従妹のメグがJさんの意見に賛成したこともあり、結局、押し切られてしまった。確かにケンカをしたら勝てないと思った。

 そして、大晦日の夜10時、僕はJさんといっしょにTiaシズのマンションを訪ねた。するともう多くの人が集っていた。わかる限りで書くとTiaシズ、その長女のアヤカ、次女のシンシア、三女のメグとその夫のミチオと長男のタク、長男のミッチ、Jさんのお姉さんのカズコとその夫のフェルナンドと次男のタカである。

 アヤカとシンシアが作ってくれた料理を、食卓を囲んでみんなで食べた。スペイン語ばっかりだろうと思っていたら、Tiaシズの一家はみんな日本語が上手で心配は無用だった。料理もレーズンが入ったパンケーキから沖縄ソバ、サケの昆布巻き、ローストチキンと沖縄料理とペルー料理が交じり合っていて、どれも美味しく食べられた。ただ、もっとみんなで話しをするのかと思ったら、テレビ(K1だったと思う)に夢中になっている人が多く、あまり会話で盛り上がるということはなかった。

 そのうち次々をいろいろな人たちが集り始めた。近くでレストランを経営している女性とその子供(とっても20代だけど)の女性ふたり、埼玉に住んでいるというカルロをいう大学生、Jさんの従姉にあたるガビという女性、さらに戸塚に住んでいるという女性とその子供(中学生くらいの男の子と小学生くらいの女の子)ふたり、さらにレストランのコックさんふたり。このコックさんのうちひとりカルロスといい、唯一日系ではないペルー人で12月25日のクリスマスの日に来日したという。

 面白かったのはガビが12時になったとたん12個の葡萄をひとつづつ願い事をしながら食べ、その後カバンを持って食卓を1周したことだった。今年も旅行に行けますようにという儀式らしい。みんなは12時になり、新しい年が来るとフェリーサーニョとかいって抱き合い、ワインで乾杯した。始めは何を言っているのかわからなかったが、Feliz anoで日本語で言えば「明けましておめでとう」ということだ。

 あまりに人が増えてしまったので、僕はコックさんふたりとミチオとアヤカと別の部屋でワインやビールを飲みながら話した…と言っても、話しているのはクリスマスの日に来日したカルロスがほとんどで、それをアヤカが通訳して僕に聞かせてくれたのだ。

 カルロスはペルーに残してきた子供のためにがんばって稼ぎたいと言っていた。今年で12歳になる女の子で、勉強がとてもできるらしい。物などよりも、教育を与えてあげたいと真摯な表情で語っていた。

 午前3時を過ぎた頃、Jさんがやってきて、初詣に行こうと言ってくれた。これは始めからの計画で、大勢のペルー人に囲まれて僕が疲れることを想定したシナリオだったが、当初の予定は12時過ぎだったのだ。

 Tiaシズのマンションを後にして、Jさんは僕の疲れを心配したが、あまり疲れなかった。大勢の人は苦手な方だけど、何となく楽しい気分だった。

 K駅まで行くとJRは動いているようだった。ただ、南武線だけは動いていないようで、中年の男性が執拗に駅員に絡んでいた。僕たちは池上本門寺まで行く予定だったので、蒲田で下り、池上線に乗ろうとしたが、切符売場にはシャッターが下りていて、本日の終電は終了しましたとかいう看板が出ていた。大晦日から元旦は終日動いているかと思ったが、違ったようだ。

 再び、京浜東北線に乗り、K駅まで戻りJさんのアパートまで歩いていった。時計はもう4時を回っていた。そして、ふとんを引き、ふたりで寝た。(2007.1.6)




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