Kさんの退職

 約4年間いっしょの職場で働いていたKさんが今週、退職した。前回、パート従業員の社会保険加入で勤務形態の変化などにより、退職者が続出したと書いたが、Kさんもそのひとりに含まれてしまった。Kさんの退職のきっかけとなったのは課長との面接だった。

 Kさんは高校生と中学生の息子さんのいる47歳の女性である。彼女は今度の社会保険加入問題が起きるまでは週3日の勤務だった。ひとりひとりの面接のさい、彼女は週3日ではこれからは契約できないと会社側に言った。それというのも彼女は数年前に離婚し、今は女手ひとつで子供ふたりを育てているからだ。ゆくゆくはもっと安定して長い時間働ける仕事に就こうと思っていたのだ。

 今の部署は以前に比べて仕事量がかなり減ってきている。週明けの月・火はまあまああるが、週末になるとほとんど午前中で、場合によってはそれも早い時間で暇になってしまうし、またほんとに忙しい時期は10月下旬から12月上旬くらいまでで、特に2月と8月は閑散期で仕事量は大変少ない。

 いい仕事が見つかるまでは…と考えて、とりあえず契約するということもできるだろうが、真面目な彼女は新たな契約書を交わしてすぐに辞めるのも会社に悪いと考え、自らの事情を正直に話した。課長はそれなら社会保険に加入して週6日、働いたらどうだと提案してきた。ただし、今の部署は仕事量が少なくて週6日の勤務は無理だから、2階に異動してもらうことになるという条件がついてきた。

 2階は仕事の受注やできあがった製品の発送、出金伝票の管理などを行うフロアなのであるが、個性的な人が多く独特の雰囲気(或る人は大学のサークルのようなノリと表現した)のため、仕事への不安もありKさんはあまり乗り気ではなかったようだ。強制的にとらされるひと月の休暇のこともあり、断ることを前提にした保留という形で面接を終えた。すぐに‘いや’と言えないのは、彼女の性格である。

 しかし、翌日、ひと月の強制的な休暇はパート従業員の反発が強かったため、社会保険加入者は取らなくてもいいことになり、Kさんの断る口実がなくなってしまった。それでもなかなか結論を出せないでいたが、周囲の積極的な説得もあり、彼女は2階へ異動することを前提に社会保険に加入、週6日の勤務で契約することにした。さすがに彼女も‘職場の雰囲気が自分に合いそうにないから’とは言えなかったのである。

 しかし、2階の職場はやはり彼女に合わなかったようだ。3階で働いていた時はいつもにこやかだった彼女の表情に陰が差すようになり、一様に暗くなっていった。大人しく控え目な彼女の性格と‘大学のサークルのようなノリ’の職場は相いれるものではなかったのかもしれない。そんなとき、パートの社会保険加入の手続きが希望者の多いため、遅れるとの報告があった。

 いつもは優柔不断なKさんだが、その情報を聞き、すぐに退職を申し出た。社会保険に加入してからでは辞めづらくなると判断し、その前にと考えたのである。新しい職場に移ってからちょうどひと月でKさんは会社を去ることになった。

 2階の仕事がKさんに合う合わないは別にして、この異動は彼女にとって条件のいいものだったように思う。2階の仕事はその性質上、多少の多寡はあるが安定していて3階のように暇だからといって昼で終わりということはないし、夕方5時の発送の仕事が終わってしまえば、あとは営業先から戻ってきた男性の営業部員が仕事を引き継いでやってくれるので、遅くまで残る必要もない。つまり、9時から5時まできっちり働ける環境だったのだ。

 40代後半の女性がこのような条件で働ける職場を探すのは大変のように思われる。もちろん、彼女もそのことはわかっていたと思う。しかし、それでも彼女は辞めてしまった。

 確かに2階の仕事や人たちと彼女の合わなかったということが心の重荷となり、退職の要因になったということはあるだろう。しかし、理由はそれだけではないように思う。もっと大きなものとして、彼女は会社の将来性を見切ったように感じる。ここ数年間のうちに起きたいろいろなことを思えば、その先に待っているものがぼんやりと見えて来るような気がする。

 例えば3階にはかつて5人の社員がいたが、今は2人だけになってしまった。会社全体としても層は薄くなり、かなりリスキーな状態になっている。いかに人を安く使うかということだけを考えて経営してきたつけが回ってきたように思う。

 2、3年でどうこうということはないかもしれない。しかし、5年、10年のスパンで見たとき果たしてどうだろうかと考えると、何があっても不思議ではないような気がする。5年後といえばKさんは52歳になっている。その時、新しい仕事を探すより、少しでも若いうちに…と考えたのだろう。

 それは決して、Kさんだけの問題ではなく、僕の問題でもある。ただ、僕はKさんに比べ少し臆病で、少し狡猾なのかもしれない。(2008.2.17)




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