危うい瞬間

 今、やっている仕事はいくつかの工程がある。楽なものもあれば、きついものもある、きついものも、精神的に辛いものと、肉体的につらいものがある。当然、特定の人が一日中きつい作業にならないようにローテーションが組まれている。

 木曜日の午前中、僕はきつい作業をやっていた。そして、午後ローテーションでは他の作業に移るはずだったが、リーダーが突然それを変え、午後も引き続き僕がやることになってしまった。以前はこういうことがよくあり、2日連続できつい作業に当てられることもあったが、最近はなかったので心の中にある感情が起きた。そして、それは夜になっても消えることはなく、逆に大きくなっていった。

 そして金曜日の午前中、リーダーはまたしても僕にきつい作業を命じたとき、僕の気持ちは切れた。
 「ローテーションを変えるのは、どういう意味があるんですか?説明してください」と僕はきつい調子で言った。
 「そ、そうか、Hくんはその作業だったか。忘れていたよ」と彼は薄笑いを浮かべて言ったが、忘れるはずはないのである。
「昨日も変えましたね!何故変えたのか説明してください」と僕はさらに食って掛かった。
 「大意はないんだ。そう熱くなるなよ」と彼はつとめて冷静を装った。
 「説明しろよ!」と僕はさらに声を荒げていった。危うい瞬間だった。

 しかし、これは突発的な出来事ではなかった。今までこういうことがある度に、僕は今度こういう理不尽なことが行なわれたら言ってやろうと思っていたのだ。そして、木曜日の夜、もし明日もこういうことがあったら(そういう予感はあった)今度こそと心に決めていた。

 「ほんとに大意はないんだ。じゃー、Hくんいつも通りにやってくれ」周りの目もあったのか、彼は僕の質問に真正面から応えず逃げた。‘大意はない’というのはあまり正確ではない。理由は説明できないというのがほんとのところだろう。

 前にも書いたことがあるが、リーダーはえこ贔屓の人である。自分の気に入った人と、そうでない人と、その対応はまるで違う。何人もの人が同じような、或いはさらに酷いことをされている。それが僕にはどうしても我慢ならないところまで到達していた。

 そして、木曜日の夜、もうひとつの予感があった。それはひょっとしたら明日が今の職場最後の日になるのではないかという予感である。

 胸糞悪い鼻糞野郎を罵倒して、「たった今、辞めてやるよ」啖呵を切り、タイムカードに打刻して颯爽と職場を去る。そんな光景を夢想していたのだ。いや、望んでいたと言ってもいい。ここのところの仕事の忙しさで、心が鋭くなっていたせいかもしれないし、また心身の疲れが僕を投げ遣りな気持ちにさせていたせいかもしれない。

 最低の理性はまだ残っていたようで、リーダーが腰の引けた対応をしたこともあり(彼が僕の言葉に反応して、感情的になっていたら…)、最悪の事態にはならなかった。だが、言葉というの両刃の剣であり、必ず自分に返って来る。リーダーの歪んだ対応が自分に返ってきたように、今日言った僕の言葉にいつしか僕に返って来る。そして、その日はそんなに遠くないような気もするのである。(2006.3.31)




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