土曜日の朝、カーテンを開けると眩い光がサッシ越しに部屋の中に差し込んできた。ここのところ、ちょっと疲れ気味なので、午前中はふとんの中でぼーっと過ごそうと思い、FMラジオを点けた。優しい女性の声を聞きながら、優雅な時が過ぎていく、そんなことを夢想していたのだけど、ラジオを聴き始めて5分でいやな気分になってしまった。そう、今日3月11日はホワイトデー前の最後の週末。内容のほとんどが、そのことばっかりだったからである。 それでも我慢して聞いていると、ほとんどどの番組でもホワイトデーに関する話題が中心となっていた。‘本命チョコの場合はいいが、義理チョコをくれた女性へはどんな贈り物がいいか’とか‘こんなものが意外と喜ばれる’とか、そんな話しばかりでホワイトデーにお返しをするということが大前提になっている。その存在に関する疑問、否定的な見解といったものは皆無だった。 僕はホワイトデーのようなものを全く否定するつもりもないが、聴いたいくつかの番組で‘ちょっとおかしいんじゃない’というような意見がひとつも聞けなかったことに不自然さを感じてしまった。誰かひとりくらい、疑問を呈してくれてもいいようなものなのに、みんながみんなホワイトデーに関してはいたって肯定的なのだ。1時間が過ぎた頃、僕はそのテンションについて行けなくなり、ラジオのスイッチを切った。 TVやラジオを観たり聴いたりしていると、こういった不自然さをよく感じてしまう。明らかにおかしいのに、誰もそれに対して‘おかしい’と言わない。おかしなことが‘おかしい’のではなく、おかしなことに誰も‘おかしい’と言わないことが、おかしいのだ。 のんびりとした週末の気分が台無しになってしまった。こんなことならNHKFMにしておけばよかったと思ったが、もう後の祭。イヤな気持ちが元に戻るはずもない。よく民放はNHKを批判したり、バカにしたような発言をするが、自分たちの方がよっぽどタチが悪いことに気づいていないのだろうか? NHK民営化などという声が一部から出ているが、そんなことは絶対にしてほしくないと思った土曜日の朝だった。(2006.3.11) |