ペルー料理を食べに行く

 五反田にあるペルー料理の店に、日系ペルー人のJさんと行った。こじんまりとしたビルの2階にあるその店には、若い女性ふたりと男女のカップルがいるだけで静かだった。店の入口近くにあるテーブルにはハリソン・フォードを小柄にして横幅を広げた感じの初老の男性がひとり静かにスペイン語の新聞を読んでいた。どうも店の主らしい感じだが、昔観たフランス映画の‘髪結いの亭主’の亭主役のように、何をするでもなく置物のように座っている。

 女性の店員がふたり分のメニューを運んで来てくれた。あまりにもいっぱい種類があり過ぎて、迷ってしまう。また、どういう注文の仕方をしていいのかも、いまいちわからない。とりあえず、食べられそうにないものはないので、Jさんに任せることにした。

 僕が事前に‘鶏料理が食べたい’と言っていたのに気を使ってか‘Aji de Gallina’(鶏肉のイエローペッパーソース煮)という料理を注文したが、今日はできないといわれてしまいJさんお薦めの‘Lomo Saltado’(牛肉のポテト、玉ねぎ、トマト炒め)と‘Anticucho’(牛ハツの串焼き)、そして白トウモロコシと牛スジのスープ、飲み物として‘Inka Kola’(ペルー版コーラ)と‘Chicha morada’(紫トウモロコシのジュース)をたのんだ。

 注文を済ますとやっと少し気分が落ち着いてきて、店の中を見回す余裕が出てきた。厨房の中は女性がひとりで料理を作っていて、ほかに料理を運んでくる女性がひとり、店内は外さえ見なければほんとに外国の、それも都会ではなく田舎の食堂といった感じだ。僕たちのテーブルの後の客は明らかに南米出身という感じの男性、その連れの女性は東洋系の顔立ちだけどスペイン語で話していた。ちょっと離れたところに座っている女性のふたり組みは日本人っぽいけど、或いはJさんと同じ日系ペルー人なのかもしれない。日本語が聞えてこないというのは、どうも居心地が悪い。

 そんなことを思っているとまず飲み物が運ばれてきた。Inka KolaとChicha morada。Inka Kolaは黄色い色をした炭酸飲料だった。Jさんのすすめで両方を飲み比べてみるとChicha moradaの方はくせがあるけどやさしい感じで料理に合いそうだった。紫トウモロコシが原料らしいが、グレープジュースといった感じだ。Inka Kolaはやや酸味が強くインパクトがある。結局、僕がChicha moradaをJさんがInka Kolaを飲むことになった。

 最初に出てきた料理はAnticucho(牛ハツの串焼き)だった。日本的にいえば‘おつまみ’にあたるようだが、一本の串に3キレの牛ハツが差されていてそれが3本と、炒めたじゃがいもがついてきた。串に刺さったままのハツに辛いソースをつけかぶりつくが、これがなかなかのボリュームであり、もし独りで3本食べたらそれだけで満腹に近い状態になりそうだ。久しぶりに本格的な肉料理を食べたという感じだ。ちょっと味にくせはあるが、食べ慣れるとなんでもない。

 「取り皿、お願いしま〜す」と女性ふたり組みのテーブルから声がかかった。日本人がいたことにちょっと安心し、気分がだいぶ軽くなったような気がした。Jさんの後ろのテーブルでは、ラテン系の男性がピッチャーで豪快にChicha moradaを飲んでいて、入口近くのテーブルでは先ほどまで新聞を読んでいた太目のハリソン氏がうたた寝をしている。

 次に白トウモロコシと牛スジのスープが出てきたが、これもかなりの量で2〜3人前くらいありそうな感じだが、Jさんの話しによると1人前だそうである。これもひとりで食べたら、もうお腹いっぱいになってしまいそうだ。味はシンプルな塩味で、何の抵抗もなくおいしかった。

 最後に出てきたのが、メインディッシュのLomo Saltado(牛肉のポテト、玉ねぎ、トマト炒め)でライスも同じ皿に乗っている。これは日本人でも親しみのある味で、とてもおいしかった。牛肉が食べているうちにしつこくなるかな?と始めはちょっと心配だったが、そんなこともなかった。牛肉と野菜類のバランスがいいのだろう。

 しかし、量は多い。Jさんの話しだとこれで1人前で、普通はこれにスープと飲み物を注文するらしい。僕らはふたりでこれらの料理を食べたけど、Jさんがダイエットしているそうであまり食べず、少し残ってしまった。それにしてもペルー料理は食材も豪華で、南米一のグルメな国といわれるのがわかるような気がしたが、Jさんに言わせると‘贅沢な貧乏の国’ということになるらしい。

 ペルーというのは地域によって違いはあるだろうが、基本的に寒暖の差があまりない気候だという。したがって1年を通じて、豊富な食材があるらしい。だから、保存して冬に備えるというよりも、いかにそれらを美味しく食べるかというほうに進んでいったようだ。

 それに比べて日本は四季がはっきりしている。長い冬に備えるため、干物や漬物といった食材を日保ちさせる方法が生み出され、発展していったことや、暑い夏を乗り切るためにも人々がいろいろと知恵を出していったのは必然のことだっただろう。

 日本は資源のない本来は貧しい国なのである。その中から貧しさを乗り切るいろいろな知恵が生まれていった。Jさんが特に関心していたのはジャコで、「ペルーではこんな小さな魚、誰も食べようとしないけど、日本人はそれを美味しく食べさせる」とよくジャコ玄米のおにぎりを食べている。

 これは食べ物だけの話しでなく、現在の日本そのものにも当てはまるように思う。資源のない貧しい国だったから、いろいろな工夫が生まれ、もの作りの国となっていった。そうしないと裕福にはなれなかったからだ。となると昨今のグローバリゼーションの名のもとのアメリカかぶれした社会情勢は…寒い限りのように思う。

 それにしてもペルー料理はおいしかった。そして、Jさんの体格がいい理由もはっきりとわかった一日であった。(2006.2.26)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT