懐かしい道

 ここのところ会社帰りの途中下車など、よく歩いているせいか、ちょっと遠くまで行ってみたくなり、今、住んでいる所から、少年時代を過ごした所まで歩いて行くことにした。よく晴れた建国記念日の昼1時過ぎ、僕は家を出た。

 まずは今の所に引っ越す前に住んでいた長原というところを通った。ここには古い物が残っていた。1960年代前半に市販されていたマツダキャロル360が駐車場に静かに佇んでいたり、うちの父も乗っていた3輪の初代ダイハツミゼットが車庫の中で休んでいる。これはうちの近所も同様で、昭和40〜50年代のブルーバードやスカイラインといった懐かしの名車が、駐車場の奥の方でうたた寝していたりする。

 この長原は高台にあり、坂の上からの眺めは気持ちいいものだ。高校の時、わずか1年だけしか住んでいない街だけど、懐かしい気持ちでいっぱいになった。いろいろな坂があり、それぞれに名前がついていたりするのだけど、僕は名前の付いていないその1つを下った。そして表通りに出ることなく、裏通りを歩いた。途中から、どぶ川のような水路が横を併走する形になるが、レトロな街灯がついていたりして、路地裏独特のうらぶれた風景と匂いとあいまってなかなか雰囲気のいい小道だった。

 ここを過ぎると、後は表通りに出て延々と歩くことになる。ただ、この日は祝日に当っていたため、交通量も多くなく、空気は北風に洗われたせいもあり、澄んでいた。小さな町工場が道路沿いに幾つかあり、祝日にもかかわらず働いている人の姿が見えた。生活感のある道を歩くというのは愉しい。そして国道1号線を横切るとすぐに向かって左手に池上本門寺の杜が見えて来る。初めは、ただ横を通り過ぎるだけにしておこうかと思ったのだけど、まだ初詣に行っていないことを思いだし、ちょっと寄って見ることにした。

 通りをしばらく歩くと、本門寺の裏手に出る車坂という坂道につながる道に出る。そこを左折すると、歴史のある木造建築の蕎麦屋があり、昔はその横に駄菓子屋があったのだけど、今はなくなっていた。道を挟んで反対側には小さな神社があり、その横から車坂が始まっている。

 この車坂の両側は低い崖のような斜面に覆われていて、僕が子供の頃にはそこに防空壕の跡がいくつもあった。その窪みはやや恐ろしげである反面、子供心をわくわくさせるような雰囲気があり、子供たちの秘密基地だった。今、その斜面はほとんどコンクリートブロックで固められていて、当時の面影はあまり残っていないし、ここで遊ぶ子供もいなくなってしまっただろう。せめて、こういった場所は昔のままの素朴な風景を残しておいてもらいたいと思った。

 この坂を半分くらい上がると階段があり、境内の方向に延びていた。こんな道は僕が子供の頃はなかったと思うのだが、記憶違いかもしれない。ただ、階段は比較的新しかったので、ここ数年のうちに作られたもののようにも思えた。何処に出るのだろうと思い階段を上ってみた。途中にはお墓が幾つかあったが、どの墓石も新しかったので最近分譲され始めたようだった。ということは、やはりこの道は少なくても、僕が池上を離れてからできたものなのだろうと思った。

 この階段を上り終えると、鐘撞堂の裏手に出た。本門寺の鐘撞堂は本堂と山門の真中くらいにあり、その前に周ると参道全体が見渡せた。境内には、休日のためか、いろいろな人たちがいた。学生のグループ、家族・親戚で参拝に来たような一同、作業着を着た中年の男性、男女の若いカップル、元気に動き回っている子供等…。

 そういう人たちを見ていたら、本堂の前まで行って参拝しないくてもいいような気がしてきた。晴れ渡った空の下、みんなが穏やかだったから、もうそれだけで十分な気持ちになったのだ。遠くには重要文化財に指定されている五重塔が見えた。僕は山門をくぐり、石の階段の前に立つと池上の街が眼下に広がった。僕はその石段を一歩一歩下りた。たまたま、僕の後から男女の若いカップルが下りてきて、抜かされたくなかったので、最後は彼らと競争するような形になってしまった。

 本門寺の門前には僕が通っていた池上小学校がある。校舎にある時計を見たら2時半を少し回ったところだった。家を出たのが1時過ぎだったから、だいたい1時間半でここまできたことになる。‘ちょっと待てよ’と思った。確か子供の頃、池上線を線路づたいに歩いて洗足池まで行った時、4時を過ぎていた。今日は洗足池からさらに2駅過ぎた旗の台くらいから歩いているはずだ。小学校6年生のとき、3時間以上かかった行程以上を、今日はその半分で歩いている計算になる。僕の足は、そんなに速くなったのか?今と小学校6年のときと、そんなに違わないような気もする。ただ、あの時は友達がいっしょでふざけふざけ歩いていたのかもしれないと思ったりした。

 本門寺から池上駅までは、周囲を見回しながら歩いた。くず餅の店や石の壁のバーなど当時のものがまだ残っていてうれしかった。ただ駅前は開発が進み、浦島太郎になったような気分になった。家に着いてから、先程の疑問を解決しようと地図を見た。すると、何のことはなかったのである。

 池上線は円を描くように走っているのに対して、今回は直線的に歩いたから時間が当時の半分ですんだのだ。つまり、歩いた距離が、半分とは言わないまでも、5分の3くらいしかなかったのだ。よし、今度は線路沿いに歩いてみようと思ったりした。(2005.2.20)




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