穏やかな日々

 忙しい時期は終わり、ここのところのんびりした日が続いている。会社に行き、自分の仕事をやるだけ、何とか生活できるくらいの収入を確保すればいいと思っている。暇なときはのんびりと、忙しいときはそれなりに…。

 正社員の頃は変な話しだけど、あまり収入を意識したことはなかった。目の前の仕事に集中する以上に、社員としての責任、周りの人たちとのより良い人間関係を意識していた。会社がすべての真中にあり、仕事中心に生活が回っていた。

 仕事が暇だったり、やりたいことがあっても定時までは帰れないし、残業などは当たり前、休みを取りたくても忙しければ無理だし、強行すれば周りと摩擦を起す。くだらない会議や行事に駆り出され、会社への帰属意識・忠誠心を植えつけられ、競争心を煽られる。そんな日々が延々と続く…。そこから僕は逃げ出した。当然、代償はある。

 仕事の面白さ・やりがいは正社員の頃の方が遥かにあった。僕はそれを棄て、仕事中心の生活からの解放を選んだ。常識という偏見と自分の中にあるちっぽけなプライドと闘い、最近になりやっと自分を少しだけ肯定できるようになった。

 将来のことを考えると不安に襲われることもある。正社員なら、年をとっても雇用は確保されるだろう。果たしてパート・アルバイトで年をとったときどうなるのか…、想像できない、どうなるかもわからない。だけど、逆に考えてみたら、わからないというのは素晴らしいことではないか、可能性が残っている。老後の安定を得るために、25年、檻の中に入り続けることに僕は耐えられそうもなかった。ただ、それだけ…

 今は自分のやりたいことを、少しづつやっていこうと思っている。焦る必要はない、人生は長いんだから…。疲れたら休めばいい、そして、ゆっくり歩いていこう。何になる必要もないのだから…

 ここのところ、フリーターやニートが増えているのは日本に夢がなくなったからだという意見がある。しかし、それは少し違うように僕は感じる。確かに夢はなくなった、だけどそれは共同で見る夢がなくなったのだ。国家や会社が与える或いは押しつける夢がなくなったのだ。夢は集団のものから、個人のものになった。夢があるからフリーターをやっているという人もいるし、むしろ正社員で夢を持っている人の方が少ないように思う。 大きな夢ではなく、ひとり、ひとりが見るささやかな夢…。そんなに小さな夢の花が、咲いている風景は、美しいように思う。

 TVの中では、何処かの国の何処かの馬鹿が、「自由を全世界に拡大する」とまるで自由の伝道師のように狂った夢を語っている。大き過ぎる夢は野望と変わり、人々を苦しめる。

 上の階ではインフルエンザが流行り、数名の欠勤者が出ているらしい。それが、僕の働いているフロアーにも、やってきたようで、先週はふたりが相次いで休んだ。そのふたりのうちひとりが以前ここでも書いたことのあるEさんだった。

 病気が治り、会社に出てきたEさんはさかんに「休んでしまってすいません」と謝っていた。それは体裁を整える意味では必要なことだろうけど、病気になったら休むのは当然のこと、だから気にしなくていいよと僕は心の中でいった。調子が悪かったら休めばいい、ゆっくり元気になるまで休めばいい。(2005.1.23)




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