薄明かりの中で

 風邪をひいてしまった、本当の風邪だ。ずる休みばっかりのため、いつ以来かはわからないが、本物の風邪である。月曜日の午前中、何となくのどに違和感が出てきた。昼食を取っている時に、それは完全に痛みと認識できるまでになり、この時点で、‘まずいな’という感触があった。僕の風邪の典型的なパターンだったからである。

 僕の風邪はほとんど、のどの違和感からやってくる。これは子供の時からだ。中学校に入学したころ、学校の健康診断で扁桃腺肥大と診断された。風邪ばっかりひいていたため、こういう状態になったらしい。母と電車に乗って、遠くの耳鼻咽喉科まで手術をするため行ったことがある。しかし当時はもう、扁桃腺を切る手術は、できるだけ行なわない方向になっていたらしく、僕の扁桃腺もそのまま温存されることになってしまった。これがよかったのか、悪かったのかはわからないが、風邪をひいていつも最初にやられるのが扁桃腺なのだ。

 僕の風邪のパターンは、まずのどが痛くなる。次ぎに熱が出て、しばらくしてから鼻水や痰が出るようになる。痰が出るようになると、のどの痛みはだんだんとなくなっていき、熱も下がってくる。熱が完全に下がると、痰の出る回数が減り、鼻水と咳が頻繁に出るようになる。咳が出始めると、風邪が治ったという気持ちになる。最初の症状がのどの痛みではなく、鼻水のときは、あまり重い風邪にはならず、治ってしまうことが多い。

 特に20代前半まではほとんどこのパターンだった。そして、今回はまさしくこれになってしまったわけだ。月曜日、帰路につく頃は、のどの痛みはかなり強くなっていた。そして火曜日の朝、熱が出始めたため、会社を休んだ。夕方には37.5℃まで上がった。この時点で水曜日も休むことして、濡れタオルを頭に乗せ、枕を水枕に変えて眠りについた。

 水曜日の朝、熱は37.1℃まで下がっていた。熱が高くならなかったので安心した。一番怖いのはインフルエンザだった。昼には36.9℃まで下がり、これなら明日は出勤できるなという気持ちになったのだけど、夕方のニュースを見ていたら、インフルエンザでも、あまり高熱がでない場合もあるという。

 そういえば、熱の下がり方が、いつもに比べてやけにゆっくりだ。夕食前に、計ってみると36.9℃と昼と変わらないし、ちょっと熱っぽくなってきたような気もする。夜、寝る前にまた計ったら、またまた36.9℃…。熱があるといえばある。ひょっとしたら…という気持ちが頭を過ぎった。もし、明日の朝起きてまだ熱があるようだったら、病院に行って診てもらおうと思った。そして木曜日、快適な朝だった。一応、熱を計ってみると36.0℃。やっぱり、普通の風邪だったようだ。しかし、風邪で熱に浮かされながら寝ているというのも気持ちがいいものだと思った。

 ふとんの中でまどろんでいると、近くにメジロ、遠くにカラスの声が聞え、カーテン越しに入ってくる薄明かりの中、そのうちふとんの温かさと熱のため霧のかかったように意識が曇り、時が喪失し、ただの空間だけが存在しているような感覚になる。日常の中にぽっかりと空いた時空の穴の中に落ち込んだように、何処からも切り離されて、永遠の時が流れているような安らぎと静けさが支配するその世界にいつまでもいたいような気持ちになった。しかし、それも空腹や尿意によって破られ、現実の時空へと戻される。

 会社から帰った木曜日の夜、気持ち悪い夢を見た。僕は鉄道のガード下に置いてあるラジオを聞こうと思い歩いていると、辺りは長い布がいつくも折り重なっている。足元に折り重なっている長い布と同じ生地の着物を着た若い男が目の前に現われ、僕に唾を吐きかけた。

「おい、ふざけるなよ」と僕はその若い男を追いかける。若い男は薄笑いを浮かべながら、僕の前を悠々と歩いている。すると、辺りに折り重なっていた長い布がむくむくと次々に起き上がってくる。その長い布には、それぞれ人間が包まっていたのだ。僕は恐怖の駈られて、ガード下から逃げ出し、通りに出る。

 通りに出て、後を振り向くとガード下からは、長い布を纏った人間が次々を上ってきて、ゆっくりと僕に向かってくる。僕は通りをさらに逃げる。しかし、交差点まで来るとすでにそこは長い布でバリケードがされていて先には進めない。後ろからは、あの若い男と長い布を纏った人々が近づいてくる…というところで目が覚めた。

 このようなわけのわからない夢を見るというのは、熱の影響が残っていて、脳内麻薬が出たせいなのだろうか?だけど、僕はこの夢が何となく、自分の感じている恐怖を現しているような気がする。ほんとに何となくなのだけれど…(2005.1.29)




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