今日は文化の日、休日である。昨日、以前にここで書いたことのあるパートのEさんから、「明日どうしようか」とさかんに訊かれた。「どうしよう」というのは、出勤しようか、それとも暦通り休もうかということである。 パートのEさんの休日は本来、木曜日なのであるが、今の仕事は休み明けが忙しくなる傾向があるので、4日自分が休んでしまったら会社に迷惑がかかるのではないかと心配しているのだ。しかし週6日の勤務はさすがにきついので、何処かで1日休みはほしい。その休みを今日にするか、金曜日にするか、はたまたいつも通りに木曜日休もうかと悩んでいた。それで、僕に仕事の見込みと、僕がどうするかをさかんに訊いてきたというわけだ。 僕の場合、月・火曜日と祝日が重なった場合はできるだけ出勤している。それは、僕が出ないと会社に迷惑がかかるといった殊勝な心がけからではなく、忙しいため働く時間が長くなりお金になるというのが第一の理由だ。だから、楽しげな用事が入れば、休んでしまう。その他の祝日については、上司から出勤の要請がない限り、自発的に出るということはない。もともと、祝日は休みということになっているので、仕事の状況を見て自分で判断して出たり出なかったりというのも、正社員ならともかく、バイトという身分を越えているような気もするからだ。上司から、正式に休日出勤の要請があって、それから出る出ないを判断するのが、普通だと思う。しかし、Eさんは自分でその判断をしようとしているし、上司もそうなってくれるのを期待しているような雰囲気もある。僕などよりは、ずっと立派であることは間違いない。
そんなEさんに対して、僕は Eさんを見ていると、会社に合わせて自分を合理化していっているのがわかる。もちろん、会社で働くためには、それに合わせてある程度の合理化は必要だ。しかし、それが行き過ぎると、やがて自分を失ってしまうのではないだろうか。 このようなことはEさんだけに起きるのではなく、会社で働いている人ほとんどがそうなっていくといっても過言ではないように思う。こんなことを書いている自分もかつて正社員だった頃は、家に仕事を持ちかえり、していたこともあり、正月休みの間、ずっと資料を作成していたこともあるのだ。今考えれば、全くお金にならないことを、あまり疑問も感じずに何故やっていたのかわからない。ただ、その時はそうしないといけないと思っていた。 日本の会社では滅私奉公の精神がない人は、爪弾きにあい、疎外されていく。タイムカードを押してから残業するような人間が、高い評価を受けたりする。そうなると知らず知らずのうちに自分も、その何処かおかしい組織に感化されてしまい当たり前でないことが当たり前になってくる。外から見れば、全くおかしいサービス残業だって、その会社の中に入ってしまえば、「仕方ないこと」になり、いつしか「当たり前」になっていく。 僕が中学生の頃、イギリスのピンク・フロイドというロックバンドがThe Wallというアルバムを発表し、世界中で大ヒットさせた。人間社会を壁にたとえ、個々の人間はその壁の中のただ1個の煉瓦に過ぎないと歌った絶望的なアルバムだった。僕らは、自分でも気づかないうちに、自分を周りに合わせて合理化して行き、やがて自分を失っていく。そして、気づいたら誰だかわからない人間になっている。みんなが同じ煉瓦になっている。 自分にとって本当に大切なものって…?(2004.11.3) |