決行と中止の天秤

万里の長城で旅行会社のツアーに参加した観光客四人が遭難し、うち三人が死亡するという事故が起きた。当時、遭難現場付近は大雪に見舞われ、中国人ガイド二人を含む六人は身動きが取れなくなり、長城の壁を風避けにして救助を待ったが、寒さによりひとりまたひとりと凍死していった。

このツアーは七日間で万里の長城百キロを歩くというもので、実際の行程表を見てみると、全行程百四キロだった。一日、十五キロ前後を歩くのだが、疲れを考慮してか、中日の四日目は十一キロと少なめに設定されており、事故が起きたのは六日目だった。

普通に考えると百キロも歩くツアーなど尻込みしてしまいそうだが、山歩きの好きな人にとっては、雄大な景色を背景に世界遺産の史跡を百キロも歩くというのは、魅力的だったように思う。歩く距離は五十キロでも、六十キロでも、十分だったはずだが、やはり百キロとなるとインパクトが違い、営業的な判断があったのだろうし、参加する方もより達成感や優越感を得られる。

 他にこのツアーのウリは、民宿間の荷物託送、そして観光地化されていない長城を歩くというものだった。一日のトレッキングを終えた後は、近くの町の民宿に宿泊し、翌朝、一日の行動に必要なものだけを持ってまた次のトレッキング場所に行く。その他の荷物は次の宿泊先に業者によって託送される。よって、快適にトレッキングを楽しむことができるというわけである。

 観光地化されている場所というのは、逆に考えれば、景観がすばらしいから整備が進んだともいえる。摩周湖でも、華厳の滝でも、その景観を最も楽しめるところに展望台ができ、それに伴い売店ができて、観光地となっている。その一方で摩周湖などほとんど人の踏み込まないポイントもある。多くの人が訪れる展望台だと、ゆっくりと湖を眺めるということはできないが、知る人しか来ないようなポイントでは、心ゆくまで見ていられる。景観という点では、展望台に軍配が上がるかもしれないが、心の満足度という点においては、圧倒的に後者である。自分だけの景色を心に刻むというのは、大変魅力がある。

 写真で見た遭難現場辺りの長城は、石垣は崩れかかり、草が生い茂っていた。だけど、その景色は人が連なって歩く八達嶺よりも、万里の長城に流れた歳月を物語っている。そのような景色を見たいと思うのは、トレッキングが趣味の人なら当然であるように思う。そして、パンフレットでは紅葉の美しい時期に設定となっていた。

 しかし、このツアーを企画した旅行会社は、事前にコースの下見を全く行っていなかったという。‘紅葉に美しい時期’というのも、今回のトレッキングコースの緯度を日本に当てはめただけで、実際の気候データを調べていなかった可能性もある。ツアー自体に問題のあったことは、確かだと思われる。

 七日間で百キロというのは無謀ではないかという指摘もあったが、歩き始めて五日目までは、参加者に疲労の様子もなく順調だったようである。六日目の朝、ツアー参加者は降雪の予報を添乗員とガイドから聞いて知っていたが、みんな行く気満々だったという。結果から見れば、この時点でツアー参加者の運命は決まってしまったといえる。大事をとり、中止という選択肢もあったと思われるが、行く気満々の参加者に不確かな情報で中止を勧告することはできなかったのかもしれない。

 以前、妻と鎌倉のハイキングコースを歩きに行ったとき、遭難に近い状況になったことがあった。‘鎌倉の山中で遭難’などというと笑われるかもしれないが、あの状況はほとんど遭難だった。

 時期は十月中旬だった。昼過ぎからハイキングコースを歩き始めた。途中にある休憩所のようなところで、すでに陽は大きく西に傾き、このままハイキングを続けるか、休憩所から市街地に繋がるエスケープルートに逃げるか、選択を迫られた。その休憩所には案内板があり、目的地までの概ねの所要時間が載っていた。その時間と日没までの時間を考え合わせてみると、日暮れまでにはぎりぎり下山できそうに思い、ハイキングを続けることにしたが、妻の足の速さを計算していなかったのである。

 容赦なく陽は落ちていき、周囲は闇に包まれて、足元も見えない状況になってしまった。山道で陽の暮れる恐怖というものを、初めて知った気がした。結局、何とか下山できたが、妻は一時、真剣に警察に救助を要請しようとしていたくらいだったのである。

 このような状況をつくってしまったのは、完全に僕の判断ミスである。最後まで歩きたいという気持ちが、判断を誤らせた。時間に対する読みの甘さと、山道で陽が暮れるということの意味を全くわかっていなかった。灯りの全くない山道で陽が暮れたらどうなるかということを知っていれば、無理はしなかったと思う。

 万里の長城百キロトレッキングツアーの遭難も、同じことがいえるような気がする。降雪に対する読みの甘さと最悪の状況を想像することができなかったのである。ツアー行程表を見てみると、遭難の起きた六日目はこのツアーのハイライトであったように思う。‘観光客が訪れなく、静かに大地に存在する長城を歩く‘とあり、他の日とは一線を画している。この日だけ、歩く距離に対する所要時間が短く設定されており、観光よりもトレッキングに重きを置いた日だったことがわかる。

 観光地ばかり巡るツアーの中で、唯一、万里の長城の佇む静かな山道を自己の内面に語りかけながら歩ける日だったのである。降雪の予報を聞いても、参加者が行く気満々だったこともわかる。結果的に彼らは突っ込んでいき、五十二年振りという、大雪によって命を奪われてしまった。

 旅に出ると、いろいろな理由で、行程を決行するのか、中止するのか、判断を迫られることがある。その場合、決行と中止の天秤は、常に決行の方に分銅が乗っている。それを中止の側に傾けるには、冷静な判断力と豊富な経験が必要になってくる。残念ながら、今回の事故では添乗員も、現地ガイドも、そして旅行会社も、その二つを持ち合わせていなかったようである。 (2012.11.18)


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