世田谷で八十六歳の元警視が向かいの家に住む六十二歳の女性を日本刀で殺害し、自身も被害女性宅で自殺するという事件が起きた。さらに、ふとんを叩く音が煩いと八十歳の男性が、同じマンションに住む二十七歳の男性を包丁で刺し、ケガを負わせる事件も起きている。 ここ数年、ご近所トラブルによる事件が頻発しているが、近所同士の揉め事は昔からあったことである。ただ、昔は事件に発展することは、ほとんどなかった。 僕は東京生まれのため、住宅の密集している地域で育った。隣近所とのトラブルも随分とあった。うちでは毎年、夏に大量の花火をおもちゃ屋さんから買って来て、家族で花火大会のようなことをしていた。これは僕と弟がやっていたことだったが、両親も黙認していた。花火の煙がもうもうと立ち込め、風向きによって、私道を挟んでニメートルくらいのところにある隣の家を直撃してしまうこともあった。 当時、エアコンなど持っている家庭はなく、夏だから窓は開けっ放しなのである。そういうときは、当然のように苦情の電話がかかってきた。そうすると、花火大会は延期となり、日を改めてということになった。 また、家で飼っている猫が裏の家のヒヨコを噛み殺してしまうということもあった。裏の家の奥さんが怒鳴り込んで来たが、猫を溺愛していた母が「猫が動くものに興味を持つのは当たり前で、ヒヨコを外で遊ばせる方が悪い」と逆に言い放ったものだから、裏の奥さんは憤慨して帰っていった。 うちのご近所トラブルの原因は主に僕たち、つまり子供か猫で、いろいろと苦情が寄せられていたが、その都度、母は謝ったり、または、文句を言い返したりしていた。つまり、相手の話を聞いて、こちらが悪いと思えば謝り、悪くないと思えば言い返していたのである。今、思うと、これは意外と重要なことである。こういうことを繰り返しているうちに、いつしか隣近所とのコンセンサスが出来上がっていったように思うからだ。 例えば猫に関する苦情である。猫の尿が臭い、小鳥を襲った等、確かに被害を受けた方としては文句をいいたくなると思うが、これらは、仕方ないことだ。現在は、臭いの少なくなるエサなどもあるようだが、当時はそのようなものはなく、動くものに興味を持つのは猫の習性であるから、小鳥などを襲うのはどうしようもない。これらを防ぐためには、猫を家から出さないようにするしかないが、そんなことは到底できないことである。 一方、子供に関する苦情は、子供に言い聞かせれば済むことだから、大抵は何とかなるのである。つまり、猫のやったことは仕方ないと諦め、自分たちで何か対策を考え、子供のやったことは注意するという流れに自然になっていったのである。このようなコンセンサスをお互いにつくっていくことが大切のように思う。 現在、住んでいる家でも、ご近所トラブルとまではいかないかもしれないけど、頭を悩ませていることがある。家の庭に植えられた木々の枝は、毎年、大家さんが六月くらいにやってきて、剪定するのだが、昨年は大家さんの体調が悪かったそうで、枝が伸び放題になっていた。伸び放題といっても、隣の家の敷地に入るとか、私道にはみ出るとかいうことはなく、見た目がちょっと鬱陶しいなというくらいだった。 ただ、夏の間は暑いし、また剪定してしまうと影ができなくなるので、涼しくなったら切ろうと思っていたのだが、会社から帰ってくると、木の枝が切られているという日が続いた。きっと大家さんが体調の悪いため、少しずつ切ることにしたのだろうと思ったが、いない間に庭の木の枝が勝手に切られているというのは気持ち悪いので、大家さんに電話で確認してみようと、切られた枝を見ながら妻と話した。 その翌日、会社に行こうと家を出ると、隣の奥さんが話しかけてきた。そして、枝を切っているのは自分だといったのである。どうも昨日、庭での妻との会話を聞いていたらしい。あまりに伸び過ぎているから、自分が親切で切ってあげているといった言い方に、僕は頭に来て、「自分たちでやりますから、勝手に切らないでください」と強い口調でいった。他人に家の木の枝を勝手に切るのは、器物損壊罪にあたるのではないだろうか?それ以来、隣の奥さんは僕たちを避けるような、素振りを見せるようになった。 九月に入って、体調の戻った大家さんが剪定にきたとき、隣の奥さんが出て来て、「鬱陶しいから、いっそ全部切っちゃいなよ」と大家さんに話かけている声が聞こえた。大家さんは、「そんなことしたら、風情も何もないよ」と笑いながらいっていた。隣の奥さんの本心を聞いたような気がして、イヤな気分になったが、それから数日して驚くようなことが起きた。隣の奥さんが自分の家の玄関先に植えていた金木犀の木をバッサリと根元から切ってしまったのです。 隣の奥さんが何故、そんなことをしたのか、はっきりとしたことはわからないが、理由は推測できる。隣の奥さんがうちの木々の枝を勝手に切っていたことの言い訳のひとつに治安が悪くなるというようなことを匂わせていた。うちは通りから、私道を入ったところにあるが、うちの庭の木によって、その通りから隣の家の玄関先が隠れてしまうと、泥棒が入りやすくなるというわけである。 しかし、通りから隣の家の玄関先が見えるようにするには、伸び過ぎた枝を切るくらいでは効果はなく、うちの庭の木をすべて抜いてしまわないかぎり無理で、例えうちの庭の木を無くしても、隣の家の玄関先に植えられた金木犀が目隠しをしていたのである。その金木犀を切ることは、「うちも金木犀を切ったのだから、お宅も考えなさいよ」といううちへの示威行為のつもりだったのかもしれない。 だが、現実的には、近所の家には、何処もお年寄りがいるから、不審者が入り込む余地はなく、家宅侵入でもしようとしていたら、すぐに通報されてしまうだろう。 隣の家の奥さんは七十近くで、毎日、家におり、日曜日などは、家の前の私道を行ったり来たりして、近所に目を光らせているようである。これからどうやって付き合っていったらいいか、悩んでいる。(2012.10.18) |