真っ直ぐな瞳

 六月十五日、オウム真理教最後の特別手配犯高橋克也容疑者がJR蒲田駅近くのマンガ喫茶で逮捕された。菊池直子容疑者の逮捕を聞き、勤務先の寮から逃走して十二日、地下鉄サリン事件からは六千二百九十七日目のことだった。彼の供述通りにJR鶴見駅西口のコインロッカーから、逃走用に購入したキャリーバッグが発見され、その中からは麻原彰晃が書いた本などオウム関係の書籍が十数冊と麻原彰晃の写真数枚が見つかり、未だにマインドコントロールが解けていないのではないかとの憶測をよんでいる。

 しかし、マインドコントロール或いは洗脳という言葉があまりにも便利に使われ過ぎているような気がする。最近ではある芸能人が占い師との同居を続け、仕事の支障が出たことも占い師によるマインドコントロールが原因といわれた。確かにマインドコントロールや洗脳といったことはあるのかもしれない。しかし、オウム真理教の場合、麻原彰晃のマインドコントールによって信者があやつり人形のようになっていたというのは、どうなのだろう。そも、そも、宗教に興味を覚える若者とはどのような人たちなのだろうか?

 以前、僕は宗教に三回、マルチ商法に二回勧誘されたことがあり、宗教とマルチは似ているところもあるが、決定的に違うところがあると書いた。それは、勧誘する人間についてもいえるように思う。

 僕は宗教、マルチとも誘われた五回、全て勧誘を断った。勧誘する人間の違いを感じたのは、その後の態度なのである。会社の後輩からマルチの勧誘を受け、断ったとき、‘後輩はやや気落ちをしているようで言葉も少なくなっていた。’と僕は書いた。後輩は何故、気落ちしていたのだろうか?まず、勧誘に失敗したからという理由が考えられる。しかし、あのときの後輩の落ち込みようは、それだけでは、説明できないような気がする。僕が思うに、後輩の落ち込んだより大きな理由は、僕との人間関係が壊れてしまったからだと思う。

 会社の中で、僕と彼はコーヒーを奢ったり、仕事上での便宜を図ってもらったり、かなり濃密な付き合いがあった。仕事上の便宜というのは、業務上必要なものというより、僕と彼との個人的な友情からだったのである。彼が僕をマルチに誘ったのは、良くも、悪くもその友情を利用しようとしたからだと思う。

 彼は僕を勧誘しているとき、さかんに「Hさんにも裕福になってもらいたからです」とその理由をいっていた。確かにそういう気持ちはあったかもしれない。しかし、その裏側には、一人勧誘すれば、自分の利益になるという理由が隠されていたはずだ。彼はそのことに後ろめたさを感じていたと思う。自分が悪いことをしているという意識が、多少なりともあったのだ。したがって、勧誘が失敗に終わったとき、失ったものの大きさを実感し、落ち込んでしまったのだと思う。しかし、宗教の勧誘をする人からは、その‘揺れ’を感じることが、ほとんどできない。

 ある会社で働いていたとき、アルバイトの若い男性が「実は今日これから、Mさんとデートなんです。誘われちゃって」と恥ずかしそうに僕に言ってきた。Mさんは、とても可愛い感じの若い女性で、僕は「明日、話聞かせろよ!」と彼に言い、彼の話を楽しみにしていた。翌日、彼は浮かない顔で出勤してきた。Mさんは、出勤日ではなかったので、会社には来なかった。昼休み、いっしょに昼食を取りに外に出て、「どうなったんだよ?」と僕は待ちきれない感じを出しながら訊くと、「実は…」と彼は昨日のことを話始めた。

 彼の話によると、まず二人で喫茶店に行き、コーヒーを飲みながら話していると、Mさんがいきなり宗教の勧誘を始め、ほとんど一方的に話し続け、目は据わり、何かにとり憑かれたようなその姿に恐怖を覚えたという。彼は頭に来て、千円札をテーブルに叩きつけて、彼女を残して帰ってしまったそうで、「恐らく、Mさんはもう会社には来ませんよ。辞めるでしょう」といった。

 しかし、その翌日、Mさんは何事もなかったように会社に来た。そして、それから、何人ものアルバイトを宗教に勧誘した。同じ部署で働いている別の男性アルバイトも誘われ、彼女の計画まで聞かされたそうだ。しかし、実際に彼女の勧誘に乗って、教団に入ってしまった人はいないらしく、しばらくして彼女は会社を辞めた。彼女の会社を辞めた理由は、恥ずかしくなったとかではなく、勧誘する人がいなくなったからである。

 僕を宗教に勧誘した女性も、同じ会社の人を数人勧誘していたようである。彼女たちからは、僕をマルチに勧誘した後輩のようなうしろめたさを感じることはできない。つまり、彼女たちには悪いことをしているという感覚は全くないのである。もちろん、多くの人を入信させたとなれば、その宗教団体でステージが上がるということはあるかもしれない。しかし、基本的に彼女たちが勧誘する目的は、その人の魂を救済することなのである。

 入信させることによって、その人を救済できると信じているのだから、うしろめたさなど全くないのだ。むしろ、入信しない人間の方が間違っていると考えているかもしれない。この二人の女性に共通する特徴は、真面目で一直線というところだろうか。人間的に遊びがなく、常に張りつめた雰囲気で、真っ直ぐな瞳をしていた。常に正しいのは自分たちであり、他の人は真実に気づいていないか、間違っているという認識を持っていたように思う。

 恐らくオウム真理教に入信した若者も、社会の歪みや汚れに疑問を感じ、不変の真理そして高い心境を得ようとしたのだと思う。麻原彰晃は宗教を始める前は、インチキ臭い薬を売って逮捕されており、その後、知人に「最も儲かるビジネスは宗教だ」と語っているように、本質的には詐欺師だったように思う。

 結婚詐欺師が女性に金品を要求するように、麻原彰晃は優秀な若者から知識と才能を引き出させた。一連の裁判で麻原は「弟子たちが暴走した」と証言したが、それは実感だったかもしれない。しかし、彼らの‘暴走’を生みだしたのは、まぎれもなく麻原自身である。

 真面目で物事を直線的に捉える優秀な若者たちとコミュニケーション能力のずば抜けて高い詐欺師が相互に影響しあうことによって化学反応を起こし、あのような凶悪な犯行を次から次へと犯す集団に変貌していったのではないだろうか?彼らの犯罪は、坂本弁護士の事件では現場にプルシャを落としたり、仮谷さん拉致事件では多くの人がいるにもかかわらず、白昼堂々と車に押し込み、さらにレンタカーの契約書に指紋を残し、警察の捜査が身近に及ぶとそれを撹乱しようと地下鉄にサリンを撒くなど、凶悪ではあるが、同時に幼稚でもある。それは、詐欺師と社会経験のほとんどない頭でっかちの若者の姿を映し出している鏡のようである。(2012.6.17)


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