紛失した腕時計

 中学校1年生のときのことである。6時間目の体育の授業の終わった後のホームルームの冒頭で担任の教師が
 「4人の女子の腕時計が紛失しました。もしかしたら、何かの間違いで誰かの持ち物の中に入ってしまったかもしれません。みんな、それぞれ自分の持ち物を探してみてください」と言った。

 それぞれが、自分の机や鞄の中を探し始めた。僕も机の中を見て、鞄の中を見た。当然のことながら腕時計はなかった。それにして4つも腕時計が無くなるなんて、信じられない思いを抱きながら、体操着の入っているスポーツバッグの中をひっくりかえしていると底の方に何か銀色の物が見えた。まさかと思い、上のものを完全に取り払うと、そこに4つの腕時計があった。

 名乗り出ようかと一瞬思ったが、その考えはすぐに消えた。後の方で「犯人はお前だろ!」などとふざけ合う声が聞こえたからだ。ここで「僕のバッグの中にありました」などと言えば、僕の盗んだことになってしまう。たとえ、誰かが僕のバッグの中に入れたんだと言っても、― 先生はそれを信じてくれて級友たちにも泥棒呼ばわりはしないようにと注意を与えるだろうが ―、級友たちの大多数は、ひょっとしたら先生も心の中では、僕が盗んだのだと思うだろう。

 僕は4つの腕時計をバッグの奥に押し込んで、その上に体操着や運動靴などを突っ込んだ。当然のことながら、誰も腕時計のことを名乗り出る者もなく、先生は
 「それでは後でもいいですから、腕時計を見つけた人は先生のところまで来てください」と言ってホームルームは終わった。

 家に帰った僕は家人に見られないように周囲に気を配りながら、スポーツバッグの底に隠した4つの腕時計を机の引き出しの一番奥に入れた。どう処分したらいいかわからなかったのである。しかし、時間の経過とともに頭が冷静になると、疑問が浮かんできた。何故、女子の4つの腕時計は僕のスポーツバッグの中に入っていたのだろうという疑問である。

 6時間目は体育だった。当然、腕時計は外すことになる。着替えの場所は女子が教室の中で、男子は廊下だった。体操着に着替えるわけだから、僕のスポーツバッグはずっと廊下にあった。犯人は教室の中に入り、4つの腕時計を持ち出して、それを僕のスポーツバッグの中に入れたことになる。しかし、そんなことをする時間のある人間はいたのだろうか?

 それは、ほとんど不可能なことのように思えた。5時間目が終わってから6時間目の始まるまでは10分である。その間に着替えて、校庭に行くのだから、最後まで残っていたとしても2〜3分の時間しかない。しかも、休み時間なのだから、他のクラスの生徒が廊下にはたくさんいるわけで、そんなことをすれば必ず誰かに見られるはずである。

 体育の終わった後はさらに難しい。体育の授業の終わった後はみんな一斉に教室に帰って来るのだから、そんなことをする時間は全くない。一番可能性のあるのは、体育の授業の行われている時間である。何かの理由をつけて、一時的に授業を抜け出して教室に戻り、時計を盗んで僕のスポーツバッグの中に入れて、何くわない顔をして授業に戻る。どの教室でも授業の行われているため、廊下には誰もいないから、目撃される心配もない。しかし、僕の記憶では誰も授業を抜け出していなかった。

 犯人は男子か、女子かということも考えた。もともと女子の方が教室にいたのだから、犯行を行いやすいことは確かである。着替えの最後まで残っていて、腕時計を盗んで、廊下に男子の残っていないことを確認して、周囲に気を配ってスポーツバッグの中に時計を放り込んでおく。難しいが全く不可能というわけでもないような気はする。

 男子の場合は最後まで残って、教室に入ることになるが、女子の着替えた教室に入るというのは、他のクラスの生徒の目もあるし、ほとんど不可能である。もし、教室に入るところか出るところを見つかれば、大騒ぎになることは間違いない。そんなリスクまで冒して、このようなことをする意味はないように思える。

 そうなのだ、一番の疑問は誰だかわからないが、何故、こんなことをしたのかということである。そして、何故、僕のスポーツバッグの中に腕時計を入れたのか。それは僕でなければならない理由があったのだろうか、それとも別に誰でもよくて、たまたま僕だったのだろうか?

 偶然、時計を入れたのが僕のスポーツバッグなら、犯人は誰が時計を持っているのかわからない可能性が強いが、そうでなければ犯人は僕が4つの腕時計を持っていることを知っているはずである。どちらにしろ黙っていれば、何かそれらしいことを匂わしてくる可能性はある。

 そう思って、翌日から僕は注意を払った。最初に怪しいと思われたのはTという男子生徒だった。腕時計の紛失した翌日の掃除の時間に彼は「俺が疑われている。絶対に犯人を見つけてやる」とみんなの前で息まいた。彼には疑われる理由があった。体育の着替えの時、最後まで廊下に残っていたのが彼らしかった。そのことを知っていた生徒から、冗談なのだろうが「お前だろ」と言われ、頭にきていたようだ。

 僕は彼に注意を払った。犯人が男子の場合は、みんな同じ場所で着替えていたのだから、腕時計を誰のスポーツバッグの中に入れたか知っている可能性が高い。Tが犯人であれば、彼の粗雑な性格から近いうちに僕に何か言ってくるのではないかと思ったのである。しかし、何日経っても、彼は接触してこなかった。

 次に僕が怪しいと思ったのは、僕の後に座っているAである。何故、彼を怪しいと思ったかというと、このクラスで唯一僕に恨みを持っている男子だったからだ。数か月前、彼とは些細なことから言い争いになり、決闘をすることになった。決着をつけるための闘いで、彼はさらに僕に対するムカつきを強めてしまったようだ。

 彼は警察官の息子であり、今度のことでもいろいろと自分で推理をして、僕に聞かせたりしていた。それは、僕が腕時計を持っていることを知っていて、精神的な圧迫を加えようとしているようにも思えた。僕は彼が口を滑らさないか期待していたが、用心深いのかなかなか尻尾を出さなかった。しかし、よくよく考えてみれば彼に腕時計を盗むことは不可能だった。

 Aは規則正しい生徒で、体育の時もほとんど一番に着替えて、校庭に向かっていたし、何より警察官の息子がいくらムカつくといっても人を罪に陥れるような工作をするとは考えづらかった。僕に精神的圧迫を加えるようなことをしたのは、或いは僕の後の席にいた彼にバッグの中に入っていた腕時計を見られたためとも考えたが、実際に彼がそれを見ていれば、じわじわと圧迫を加えるようなことはせず、直線的に担任に訴え出るはずである。

 しかし、体育の着替えのとき、女子の着替え終えた教室から腕時計を4つ取り、廊下に置かれていた僕のスポーツバッグの中に入れた人物がいるはずである。僕はその人物が姿を現すのをただひたすら待つことにした。しかし、一月経っても、二月経っても、僕にカマをかけてくる人物はいなかった。僕は犯人を探すことを諦めた。

 恐らく犯人は女子の誰かだと思った。彼女は恐らく4つの腕時計のそれぞれの持ち主に何かイヤなことを言われたり、されたのかもしれない。彼女はわざと着替えを遅くして最後まで残り、4つの腕時計を盗んで、たまたま廊下の一番いい位置にあったファスナーの開いているスポーツバッグの中にそれを放り込んで授業に行った。だから、それが誰のスポーツバッグかはわからなかった。僕はそんな結論をだして、4つの腕時計を土の中に埋めた。

 しかし、今、考えてみるとひとつ疑問がある。何故、担任の教師は腕時計が紛失したと報告のあったすぐ後に
 「4人の女子の腕時計が紛失しました。もしかしたら、何かの間違いで誰かの持ち物の中に入ってしまったかもしれません。みんな、それぞれ自分の持ち物を探してみてください」と言ったのだろう。(2009.3.10)


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