本門寺の決闘 中学編

 以前、小学校5年生のときクラスにできたちびっこ秘密結社同士の抗争を書いた。最終的に、当時住んでいた家の近くにある本門寺においての戦闘でけりがついたのだが、僕は中学生時代にも1回、本門寺で決闘したことがある。この時は、グループ同士ではなく、1対1、正に決闘であった。それは僕が中学1年生のときのことだった。

 中学1年生のとき、同じ班に伊東という男子がいた。彼の父親は警察の保安課に勤務する警察官で、そのせいか伊東は‘太陽にほえろ’のジーパン刑事に熱くなっていて、いつも物真似をしていた。また規律に煩く、僕のもっとも苦手なタイプだった。ある日、彼は僕に対して激しくむかついたことがあったらしい。何故、そんなにむかつかせてしまったのか、記憶には残っていないが、規律を重んじる伊東は万事にアバウトな僕に以前からいらついていたらしく、いつかそれが爆発するというのは当然の帰結だったかもしれない。

 僕にむかついた伊東は突然、決闘しようと言った。何故か彼は決闘に詳しく、お互いの片手同士を縛った殴り合いとか、1枚のスカーフの端をそれぞれ口に咥えてのナイフでの決闘だとか、僕を怖がらせるようなことを威圧的にしゃべるのだった。そして、「どの方法がいい」と訊いた。「剣道でやろう」と僕は言った。

 それまで僕は剣道など、やったことがなかった。それに対して伊藤は警察署で剣道を習っており、かなりの腕前らしい。それにもかかわらず、僕が剣道を選んだ理由はいつくかある。

 まずは僕と伊東の体格差だ。僕はクラスでも3番目くらいに背が低く、140cmくらいしかなかったが、それに対して伊東は160cmを越えていて、クラスで2番目くらいに背が高い。したがって、体が接触する戦いでは勝ち目は全くないように思ったからである。それにたとえ竹刀で打たれても、痛いことは痛いだろうが、我慢できるような気がした。そして、僕の弟が小学校で剣道をやっていて竹刀や防具が手近にあるということが最大の理由だった。決闘は土曜日の午後、剣道の1本勝負、場所は本門寺を決まった。

 その日から僕は弟に剣道を習った。「イチ、メン、ソン」とか言って、竹刀の素振りを繰り返した。しかし、そんなことをやっても付け焼刃であることはわかっていて、だたの気休めに過ぎなかった。

 初めは負けることを覚悟していたが、時間が経つにつれ、何とか伊東に一泡吹かせたいという気持ちが強くなった。相手は僕を舐め切っている。そこに油断があり、付け込むことができるような気がしたのだ。僕は弟に、何か勝つ方法がないかと訊いた。

 弟は「小手か、突きがいい」と言った。その理由は「初心者が面や胴を打とうとすると、どうしても竹刀の動きは大振りになる。全くの未経験者が経験者相手に面や胴を打つことは不可能」ということだった。小手や突きだと竹刀の動きが小さいため、初心者でもまだ何とかなるのではないかということだった。しかし、突きは中学生では禁じられているため、僕は小手を狙うことにした。

 その日から僕は、弟を相手にひたすら小手を打つ練習を繰り返した。できるだけ、俊敏にそして的確に叩くことをだけ考えた。そして、ある作戦が思い浮んだのだ。

 その作戦とはいたって単純なものだった。伊東は規律を重んじるため、決闘とはいってもいきなり竹刀で乱打してくるようなことはなく、通常行なわれている剣道の試合の形式通りにするだろう。そこで、蹲踞の姿勢から立ち上がり、お互いの竹刀の切先が触れるか触れないかという瞬間にいきなり小手を打つ。そして、それが当っても当らなくても、後は全速力で逃げるというものだった。長々と試合をしていては僕が勝つ見込みはない。

 決闘当日、本門寺裏の丘に現れた伊東の姿を見て、僕は小躍りしたいような気分になった。伊東は剣道の羽織袴姿で素足に下駄を履いていた。羽織の上には胴の防具をつけており、きりりとした少年剣士といった感じだった。それに対して僕は、Tシャツにジーパンにスニーカー、防具は小手だけといった珍妙な格好だった。

 僕の作戦で唯一心配な点は、小手を打った後、果たして逃げ切れるかということだった。足ははるかに伊東の方が速い。生い茂った木々をうまく活用して何とか逃げようと考えていたが、その必要もなくなった。伊東のあの格好では速く走ることなどできないだろう。

 伊東は始まる前から、もうすでに勝つのは当たり前だと思っていたようで、僕を見下ろし、余裕しゃくしゃくといった感じだった。彼は明らかに油断をしていた。

 予想通り、伊東はいきなり打ちかかって来るということはなく、通常行なわれる剣道の試合のようにしようと言い、下駄を脱ぎ素足になった。僕たちはお互いに向き合い蹲踞の姿勢をとった。そして竹刀を前に向け、立ち上がり中段の構えを取った。僕は間髪入れず、竹刀を右に旋回させ、伊東の小手に打ち下ろした。

 僕の竹刀は防具を付けていない伊藤の小手を強かに打ち、彼は顔を歪め竹刀を落しそうになった。僕はすかさず「俺の勝だ」と言って、その場から走り出した。「待て、逃げるのか!」と背後から伊東の怒号が聞えたが、僕はかまわず全速力で逃げた。

 しばらく走っても伊藤が追いかけて来る気配はなく、僕は走るのを止め、ゆっくりと歩き出した。そして、笑いが込み上げて来た。

 伊東にしてみれば負けることのない決闘だった。しかし、彼は自分の油断に負けた。僕を舐め切り、何もできないとたかを括っていた。それに対して僕は何とか彼に一泡ふかせようと作戦を練り、その練習をした。決闘前の心構えがまるで違っていたのだ。

 また、後から考えてみると、そもそも伊東は決闘などするつもりはなかったのかもしれない。わざと僕を怯えさせるようなことを言い、脅すだけのつもりだったように思う。しかし、僕が本気に受けとめてしまい、しかも彼の得意な剣道でやろうなどと言い出したものだから引っ込みがつかなくなってしまったのだろう。

 よくスポーツの世界でもよく番狂わせというやつが起きるが、原因は或いはこんなところにあるのかもしれないなどと思っている。(2005.8.21)


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