専門学校以来の友人Kから、久しぶりに電話があり、いっしょにお酒を飲んだ。彼は僕より2歳年下で、もう30代後半なのであるが未だに独身である。そんな彼に付合ってもう1年になる女性がいるという。或いは結婚に関する相談なのかなと思ったが、話をしていくうちにそんなに単純なものではないことがわかってきた。 Kは僕とは違い女性には学生時代から積極的な男だった。中堅の電子企業に勤めてからもそうだったようで、職場の女性を中心によく声をかけていたようだ。しかし、結果はさっぱりだった。想いを寄せていた女性に「私、いきなりそういうのだめなんだ」と言われたことで、彼は考えた。早い段階で「僕と付合ってください」というのがまずいのではないかと…。 「僕と付合ってください」。まだ、あまり親しくもない間柄の女性に、この言葉は重過ぎる。警戒心を抱かせ、避けられてしまう可能性が高いと思った彼は、もっと時間をかけてじっくりと行き、何となくそういった関係になっているほうがいいのではないかと考えた。そして、まずいっしょにいろいろなところに遊びに行ったりして‘仲良くなる’ことに専念しようとする。 この方法は比較的うまくいき、数人の女性と付合うことができた。軽い気持ちで誘うことが幸いしてか、女性にそれほど警戒心を抱かせることもなく、お酒を飲みにいったり、ドライブしたりと遊びに行けた。そして、いつしか‘付合っている’という状態になっていた。しかし、その期間は長く続かなかった。3ヶ月から半年の間で、その関係は終わっていた。 「何がだめだったんだろう」という僕の問いに、Kは「たぶん、俺は無理していたんだ。無理して付合っていたから続かなかったんだと思う」と言った。そして、「ほんとに好きじゃなかったんだろうな」と呟いた。ほんとに好きでもないのに、好きな振りをしていた。楽しくもないのに、楽しそうに装っていた。いや、もしかしたら俺はほんとに人を好きになるという感覚がわからないのかもしれないと彼はいった。 そんなKだったが、1年前に彼女ができた。その女性は会社の同僚だったが、部署が違ったため顔を見たことはあるが話したことはなかったという。ふたりの出会いは社内のリクレーション委員に共に選ばれたことによる。リクレーション委員というのは社員同士の親睦を図る行事を立案・企画、実施する組織だそうだ。その前年までは男性社員がひとりで担当していたが、女性社員のリクレーションへの参加率が悪い状態が続いていたため、女性を加えようということになったらしい。 何回かKはその女性社員と会合をしているうち、自分に合うのではないかと思い、プライベートでも飲みに行ったりしたという。今までは何処か無理のある付き合いしかできなかったが、その女性とは何のストレスもなく自然に楽しい時間を過ごせることにKの気持ちは動いていき、リクレーション委員の任期の1年が過ぎた後も、ふたりで遊びに行ったりということが続いていた。 ある日、彼女が友達にKといるところを見られ「付合っているの?」と訊かれたという話しをKにした。Kが「付合っているといえばいいじゃん」と言うと、彼女は「そんなこと言えないわ。だって付合ってないもん」と言い、Kは落ち込んだが今までペースを守り焦らず、じっくりといくことにした。それが幸いしたようで、次第に彼女の気持ちはKの方に動いていったようである。そして終にふたりは付合うことになった。 付合うことになってから、彼女の態度は明らかに変わってきたという。それまで週にせいぜい2〜3通だったメールはほとんど毎日、それも数通になり親密度は比べられないほどになった。公園などに出掛けるときなどは、手作りのお弁当を持ってきてくれたり、部屋の中の家具の移動なども頼まれるようになり、そして彼に甘えるといった雰囲気が強くなって、それまであまり感じられなかった彼女の中の女という部分が香りを放ち出したのを感じられるようになった。
それまで長くても6ヶ月で終わっていた女性との付合いだったが、彼女とのそれはそんな心配も無用だった。Kは初めて自分に合った女性と出会えたと思った。
付合い始めて10ヶ月が過ぎた頃から、無性に彼女を傷つけたいという気持ちが起こるようになったという。それはセックスで乱暴な行為におよびたいとか、肉体的苦痛を与えたいということではなく、心を痛めつけたいという感情らしい。 Kによるといつもそんな気持ちがあるわけでなく、彼女のちょっとした言葉や態度に躓き、冷たく別れを切り出して彼女の心に深い傷を負わせたいという感情が起きるらしい。しかし、その反面、彼女が愛しくてたまらなくなることもあり、自分の本当の気持ちがわからなくなっている。
「ほんとに好きなのかな。だけど、ほんとに好きなら傷つけたいとか、落ち込んだ表情を見たいとか思うかな?自分でもよくわからない」と彼は言った。そういえば、これと同じ状況かどうかは疑問だけど、僕もJさんにちょっとしたことから驚くような態度をとられたことがあった。その後、Jさんはそのときのことを振り返って
「だけど、別れてしまったことを想像したら、寂しく思うだろ?」と僕が訊くと この発言を聞いて、愛しているからハードルが高くなっているだけともいいきれないような気がして来た。或いはKは全く彼女のことを愛していないのではないだろうか。愛している振りをしているのに疲れ、彼女の気に食わないちょっとした言葉や態度に苛立っているのかもしれないというような気さえしてくる。 Kはまだその気持ちを心の奥底に沈めていて彼女には知られていない。彼女にとって彼は依然優しく、そして明るい男性なのだ。果たして彼が心に沈めている悪魔は、その姿を彼女の前に現すことになるのだろうか。それとも、心の海の奥深くで腐り消滅するのだろうか。(2006.6.18) |