本門寺の決闘


 子供の頃、住んでいた家の近くに本門寺というお寺があった。本門寺は高くなった小山の上にあり、山門をくぐり長い石段を登った先にあった。近くに重要文化財に指定されている五重塔があったり、勝海舟と西郷隆盛が江戸入城の会見をした場所の記念碑があったり、力道山のお墓があったりする。桜並木もあり、花の季節には美しい光景を見せてくれる。また、木々も生い茂っていて子供達の遊び場としても絶好の場所だった。広いグランドもあったりするのだけど、僕は木々の生い茂る丘で遊ぶのが好きだった。隠れ家になるような場所も多く、秘密基地などを作ってよく遊んだ。また、作った軍艦や戦車のプラモデルなどに爆竹を仕掛けて爆破させたりもした。だけど、あまり派手に火薬を使うと近所の人が警察に通報する。だから、パトカーのサイレンが聞え、身に覚えがあるときは慌てて逃げたりしていた。やがて、この普段は静かな本門寺一帯がちびっこ秘密結社同士の最後の抗争の場となり、硝煙の匂いに包まれることになる。

 僕の通っていた小学校は本門寺の山門のすぐ近くにあった。その小学校5年生のとき、クラスで問題が起きていた。問題の発端となったのはクラス会だった。クラス会は仲のいい子同士が班になって出し物を行ない、それを鑑賞するというものだった。僕は他の6〜7人といっしょに影絵をやった。カモメが主人公の影絵だったと記憶している。そして、この班が主体となり、秘密結社ができることになる。何故そんな展開になったのかは当時もよくわからなかった。ただ、この班のリーダーが非常に個性の強い男の子だったので、それにみんなが引きずられてしまった感じだった。

 メンバーはこの時、影絵をやった班の子と秘密結社を面白く感じて後から加わった8〜9人で構成され、ジョナサンと名づけられた。リーダーにはTくんという影絵の時のリーダーがそのまま座った。影絵をいっしょにやったメンバーで参加しなかったのは僕だけだった。僕は積極的に参加しなかったというよりも、何となく避けたという感じだった。そういう仲間になるのが、何となく鬱陶しく思えたからだ。だけど、彼らにとっては裏切り者と写ったのかもしれない。いやがらせが始まった。

 いやがらせを受けたのは僕だけではなかった。他に以前からいじめられっ子だったIくんとOくん、それに女子に被害が及んでいた。僕とIくんとOくんは自然の流れとして結束を固め、彼らに対抗する秘密結社を結成した。3人だけのメンバーだったので、人気のアニメ「ルパン三世」からルパンという名前にした。誰がルパン三世で、誰が次元大介で、誰が石川五右衛門かなんていうことは話し合わなかったけど、僕は寡黙な次元が好きだった。石川五右衛門だとちょっと寡黙過ぎるし、ルパン三世は軽快過ぎて、全く自分とは反対なタイプで、あまり憧れなかった。

 秘密結社ジョナサンの活動とはどういったものだったのかというと、ただ単にリーダーであるTのいいつけの通りにメンバーが行動するといったものだった。Tが「あいつを打ってこい」とあるメンバーにいうとそのメンバーはその通り指定された子を打つ、「あいつの教科書に落書きをしろ」と言えば即座に命じられたメンバーは落書きをするため走る。それに対してルパンはどうしたかというと、今の日本と同じで専守防衛に徹していて、自ら仕掛けるということはなかった。秘密結社といいながら、クラスの全員がジョナサンのこともルパンのことも知っていた。そのうちどちらにも加わっていない男子は平和というグループを作り、永世中立国のような立場になった。

 ジョナサンのいじわるは日に日に悪質化していき、被害件数も増えていった。女子の被害も多くなり、怒りは頂点に達しようとしていた。僕達ルパンは終に専守防衛を棄て、彼らと雌雄を決することにした。負けた方が秘密結社を解散するという条件で決闘することにしたのだ。場所は本門寺、日時は土曜日の1時ということになった。決闘に際してルールが定められた。直接的な暴力は禁止、火薬類の使用は禁止、どちらかが降伏するまで戦うというものになった。よって使用できる武器としては銀玉鉄砲、パチンコなどが考えられた。

 その日から僕達はいろいろと作戦を練った。Iくんの家で作戦会議を開いたりした。Iくんのお兄さんがいろいろと知恵をつけてくれた。僕達は3人、相手は8〜9人、まともに戦っては勝ち目はないから、とにかく丘の上を押さえて、そこからパチンコや銀玉鉄砲を登って来る相手目掛けて徹底的に打ち下ろす。相手のパチンコや銀玉鉄砲は打ち上げる格好になるので地球の重力に負けて届かないだろうから、そのうち嫌気が差して降伏するだろうという、いささか希望的観測のものだった。僕達は戦う前の約束で禁止になった火薬類を大量に使うことにした。爆竹やクラッカー、かんしゃく玉などを雨あられと降らせてジョナサンの連中を敗走させようと思ったのだ。その日から駄菓子屋を回り、大量の火薬類を買った。そして丘の上に作った秘密基地にそれらを箱にしまい隠した。

 そしてついにその日がやってきた。しかし、思いがけないことが起きた。思わぬ援軍が現われたのだ。ジョナサンの嫌がらせに我慢できなくなった数人の女子が先生に連絡帳を使い、彼らの悪事を訴えたのだ。先生は彼らを直接的に怒るということはしなかった。前に書いた学芸会のときの組分けも生徒に自分達で考えて解決させるようにしたが、この時も清水先生独自のやり方だった。

 ジョナサンはTくんの言うことを他の構成員がロボットのように聞いてその通りのことを行なっていたが、先生はたまたまあった理科のテストでそのことを彼らにさせた。
「Tのいう通りに行動するのなら、テストもそうしないといけない」と言い、彼らを1箇所に集めてテストの答案にTくんと同じ答えを書くように言ったのだ。彼らは始めは大人しくTくんが書いた答えを見て、それを写していたけど、そのうちに
「ちょっと答え違っているよ」とか
「こんなのもわからないの?」とか、
小さな声が聞えてきた。僕はおかしくて吹き出しそうになったけど、それは他の子も同じらしく、教室の中は笑い声が所々からもれた。ちょっと後を見るとTくんが恥ずかしそうに指摘されたらしいところを消しゴムで消したりしていた。
「おい、おい、君達はTのいうことなら何でも聞くんだろ。黙って写しなさい」先生は冷静に彼らに言った。それがまたみんなの笑いを誘った。テスト時間も半分に近くなった時、先生は彼らに
「もうそろそろ自分の頭で考えたくなった者は、自分の席に戻りなさい」と言った。彼らはみんな自分の席に戻り、大急ぎでテストに取りかかった。

 その日の授業が終わり、僕達ルパンは家で昼食を取ると、1時よりかなり早い時刻に丘の上の秘密基地に集り、ジョナサンの到着を待った。やがて彼らはやってきたが、Tくんの姿はなかった。今日の出来事で先生に睨まれたので、これ以上問題を起したくないから、決闘には参加しないということだった。リーダーが不参加になってしまい、今日のこともあり、ジョナサンの戦意は低かった。

 すぐに戦いは始まったけど、作戦通りには行かなかった。丘の上はかなり広いので3人で守ることはほとんど不可能だったし、相手はTくんがいないといっても人数はこっちの3倍くらいいる。僕達は彼らにじりじりと押されていった。そして、終に火薬を使うことにした。爆竹やクラッカーを迫ってくる彼ら目掛けて投げ、かんしゃく玉はパチンコで打ちこんだ。

 彼らは普段は大人しい僕達が爆竹などの火薬を用意していたことに驚いたようだった。しかし、それは逆に彼らのあまり盛んでなかった戦意に火をつける結果になってしまった。また、僕らよりもはるかに相手の方が火薬の扱いが上で、投げた爆竹が破裂する前に投げ返される始末だった。僕らは導火線に火をつけるとびびってしまい、すぐに放っていたからだ。導火線が燃え尽きるぎりぎりまで待ってから投げないとこういうことになりかねない。よく、戦争映画などで見られる投げた手榴弾を投げ返されるシーンを想像してもらうといい。

 始めの約束を平気で破り、爆竹やクラッカーを投げる僕達の秘密基地に向って、方々から銀玉鉄砲や泥ダンゴが投げつけられ、僕らはそこにいることができなくなり、放棄せざるを得なくなってしまった。大量の火薬類は彼らの手に落ち、それが次々を僕達目掛けて投げつけられた。ルパンの敗北は決定的になりかけた。その時、パトカーのサイレンが聞こえてきたのだ。

 あまりにも激しい爆竹の音に近所の住人が警察に通報したらしかった。ジョナサンのメンバーはくもの子を散らすように逃げた。僕達は丘の上でボーっと、逃げていく彼らを見ていた。何人かは逃げる途中でお巡りさんに捕まり、説教されたらしい。しばらくして丘からその下にあるグランドに降りたとき、ジョナサンのメンバー数人と会った。
彼らは「もう、止めよう。ジョナサンを解散する」と言った。
僕達も「それならルパンも解散する」と言った。

 こうして秘密結社ごっこは終わった。3人で7〜8人と戦い、相手を解散に追い込んだ僕達が女子から英雄と見られることもなかった。数人の女子が連絡帳にジョナサンのことを書いた時点ですべては終わっていたのだ。平和もジョナサンが解散したことを知って、それにならった。秘密結社は僕達のクラスには存在しなくなった。結局、僕達は友達同士だった。(2003.11.6)


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