三日会社 その3

入社3日目

 休みたい気持ちを何とか押さえ、会社に出勤した。そして、昨日与えられた課題を続けた。午前中、私に話しかけた人は誰もなく、私も誰にも話しかけなかった。昼にはまたお弁当をとり、気の重い時間を過ごした。昼食をとった後、私は終に耐えきれなくなり、外に出た。息苦しさがたまらなかったのである。他の社員も私が外に行ったことにより、ほっとしているような気がした。

 昼休みが終わる少し前に会社に戻り、また課題を続けた。しかし、私の心はもうその課題をこなせる状態には程遠く、重苦しい空気に押し潰されていた。よく考えてみれば、私以外の社員はみんな新卒でこの会社に入社しているのだ。学生時代にバイトくらいはしたことはあるだろうけど、社員としてはこの会社しか知らない人たちだ。

 ずっとこの会社で純粋培養された彼らにとって私は異分子であり、あまり関りたくない人間なのかもしれない。私との距離感も掴めなかったのだろう。それまで新しい人間が入って来た場合、その人は全て新卒なわけであるから、先輩社員の彼らは常に上の立場からものを言えた。しかし、中途採用の人間をなるとそうもいかなくなる。上からものを言うのは躊躇われるし、かといってどのくらい実力があるのかわからない人間を持ち上げることもできない、対等に話すには時間がまだ短いということなのかもしれなかった。

 それにしても誰ひとりとして世間話や冗談などを言ってくる人がいないというのも異常なことに思えた。6〜7人の社員はみんな若く、一番年上と思われる人でも30代後半くらいだった。ほとんどの人は20代のようで、私と同年代だった。会社という閉じた組織にどっぷり浸かっていることにより、いつしか彼らは外の人間に対して固い殻に閉じこもるような性質になっていったのかもしれない。彼らが話しかけて来ないのなら、私からコミュニケーションをとるようにすればとも考えないわけではなかったが、大きな喪失感を持った心はまだ回復していなかったのである。

 こうして3日目も、ただ過ぎていった。ほとんど仕事などしていないのに、いやほとんどしていないからかもしれないが、会社を出ると一気に疲労感に包まれた。絶望的な疎外感に私は覆われ、暗闇の中に佇んでいた。この雰囲気の中で、働いていく自信はなくなっていた。


欠勤1日目

 この日、精神的なものからか体調が悪かったことは確かだったが、休むほどではなかった。しかし、私はどうしても会社に行くことができなかった。「風邪をひいたので休みます」と電話を入れ、会社を休んだ。恐らく今頃、会社では私が辞めるのではないかということが話題になっているような気がした。それほど、私の存在は浮いていた。

 しかし、私は辞めるつもりはまだなかった。1日ゆっくりと休めば、気持ちも変わりまだ何とかなるような気がした。それに彼女の手前、わずか3日で辞めるなんて、考えられないことだった。

とにかく、ゆっくり何も考えず寝ようと思った。


欠勤2日目

 この日も、会社に行けなかった。それどころか、休みの連絡さえできなかった。無断欠勤である。自分でもどうなったのかわからなかった。いったい自分はどうなるのだろうと酷く他人事のような感じがした。

 初めから考えてみれば、この就職を自分は望んでいなかった。彼女の手前、形をつけたに過ぎなかった。何が何でもがんばるといったがむしゃらな気持ちはなかった。そして、入った会社も、初めての中途採用者をどう扱っていいかわからず、放置のような状態になっていた。

 明日は土曜日、しかし出勤日だ。明日、会社に行き、無断欠勤を謝り、あの課題を17時25分までやれば、とりあえず1日ゆっくり考える時間はできる。それから結論を出せばいいのではないかとも思った。しかし、果たして今の自分にそれができるのだろうか…。

 部屋の中にいると気持ちが塞ぎこんでくるので、散歩に出た。何気なくコンビニに入り、アルバイト専門の求人誌を買った。家に入り、それをぱらぱらと捲っていると、長野の農家でのバイトが目に止まった。前々からこういう仕事があるのは知っていて、いつかやってみたいなと思っていた。それが、にわかに目の前に現れた。

 夜になっても私はまだ迷っていた。明日会社に行って無断欠勤を謝り、仕事を続けようか、それとも会社を辞め長野に働きに行こうかと…。散歩に出て家の周りを何週も歩きながら考えた。

 あの薄暗い狭い職場で、あの人たちに囲まれて仕事をすることに私は寒気を感じ、もうできないという気持ちが強くなった。私は長野に行くことにした。家に帰り、親にそのことを言った。

 翌日、私は会社にお詫びの手紙を書き、退職願とともにポストに投函した。夜になってから、長野のS農園に電話を入れ、アルバイトしたいことを申し込んだ。いくつか質問された後、採用になり、2日後私は長野に向けて車で出発した。暑さ厳しい、7月の下旬のことだった。

 9月下旬、長野から帰ってきた私は銀行に行って記帳した。そこには、あの会社で働いた3日分の給与から弁当代2日分が引かれた金額が入金されていた。(2005.7.22)


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