マネーゲームの果てに

 連日、マスコミを賑わせているライブドアによるニッポン放送株の買占めは議決権ベースで50%を確保したとの報道があり、さらにはニッポン放送の新株予約権は地裁に続き高裁でも脚下され、ニッポン放送は新株予約権の発行を中止することになった。これによりライブドアによるニッポン放送の経営権取得は現実味を帯びてきた。ライブドアはさらにフジテレビの買収も視野に入れているようで、TOBをかけ全面的な戦いになるのか、話し合いによる解決がなされるのか、注目される。

 当初、ライブドアが時間外取引でニッポン放送株を大量取得して奇襲をかけた後、地道に買い増しをしていったのに対して、フジ・ニッポン放送サイドは大量の新株予約権の発行といった大技や、公開買付を行なったりと派手な動きを見せたが、奢りがあったことは否めず、危機感も欠如していたようで空振りに終わったり、いまひとつ有効な対抗策を打ち出せないまま、じりじりと押されている印象を受ける。

 ただ、よくマスコミでいわれているように、これを旧勢力と新勢力の戦い見るのは違うように感じる。敵対的買収をかけている企業とそれを防ごうとしている企業の戦いとそのままに受け取ったほうが正解のように思う。新旧をあまりに強調するのは、物事を意識的に面白くしようとしているか、自分は時代の変化を敏感に捉えているのだと気取っている人間のように思えるからだ。

 また、最近ではポイズンピルとか、焦土作戦とか、ホワイトナイトとか、パックマンディフェンスとか、ますますマネーゲーム的要素が前面に出された解説が多くなり、肝心のニッポン放送の社員の心情が置き去りにされているような印象をうける。確かにゲーム的な空中戦は面白いが、そればかりでは、物事の本質を見失ってしまう怖れがある。この問題の本質は何のためにライブドアはニッポン放送の買収に着手したのか、そして経営権が移った場合、どのような会社にしようとしているのかということだと思う。

 ライブドアが何故、ニッポン放送の買収に乗り出したかといえば、ニッポン放送が持っているフジテレビ株が目当てであり、それを通じてフジテレビに影響力を持ちたいとの思惑があったからだ。したがって、ニッポン放送という1ラジオ局に思い入れはほとんど感じられない。堀江社長の発言をすべてチェックしているわけではないが、ニッポン放送をどう変えるかというビジョンをあまり示していないと思うし、言われたことも僕にはあまり理解できなかった。

 もし、僕がニッポン放送の社員だったとすれば、堀江氏の数々の発言によって、あまりいっしょに仕事はしたくないという気持ちになっていると思う。新聞にはライブドアが経営権を握った場合は会社を辞める決心を固めた社員の話しが載っていたが、その気持ちはよく理解できる。堀江氏はゲームの達人ではあるかもしれないが、人の気持ちというものをあまりわかっていないように感じる。人というのは理性よりも感情が優先してしまうものだ。感情は強く、理性を簡単に押し流し、そしていつまでも心の中で燻っていたりするものなのだ。彼が不用意に与えてしまった悪印象は、簡単に払拭できないだろう。

 また、彼はラジオというものもあまりよくわかっていないように思う。もちろん1ラジオ局などは眼中にないのだから、思い入れもないのは仕方ないのかもしれないが、社員の立場になってみれば、それではたまったものではないし、またライブドアが経営権を握ったとしても、できることはそれほどないように思う。というのもラジオはもう十分に成熟していると思うからだ。

 ラジオは僕の最も好きなメディアであり、また最も優れたメディアであると思っている。前にも書いたが、ラジオは非常に聴取者参加番組が多く、ということは生放送も多い。したがってリアルタイムに生きた情報を、次々と発信できるのだ。災害が起きたとき、その地域に密着したラジオ局が、人や物またはサービスに関する情報などを的確に伝え、非常に役立っているのは普段からそれと似通った放送をしているからだと思う。

 パーソナリティがみんなに関心がありそうなことを聴取者に尋ね、その応えがメールやFAXで寄せられる。そして、面白いもの、みんなに有益なものはすぐに紹介されたりする。TOKIOが日曜日にTVでやっているTHE鉄腕DASHという番組では、地元のラジオ局に曲をリクエストして、その曲がかかっている間の車の走行距離を競うというものがあるが、こういう企画が成り立つのもラジオならではだ。

 ネットがラジオを取り込むのではなく、ラジオがネットを利用して、さらに即時性を高めている。今ではほとんど番組ごとにメールアドレスを持っていたりして、放送する側と聞く側の距離はさらに近くなっている。それを今更ネットとの融合でもないという感じがする。

 またラジオはTVなどと違い、長寿番組が大変多い。中には十年以上も続いているものもあるほどだ。これはその番組が完全に地域に、そして生活に密着しているからだといえる。僕たちの生活は、マクロ的に見てしまえばそれほど大きな変化はない。そこにはいつでもあまり変わらない庶民の生活がある。そして、ラジオはそれに寄り添って存在している。

 ラジオの聴取者というのは、家庭の主婦であったり、工場で働いている工員であったり、農作業している農業従事者であったり、車を運転しているドライバーであったりする。特別ではないそれら普通の人たちに、語りかけているのがラジオなのだ。日常の出来事、想い出の曲、そういったさりげない優しさを運んで来るのがラジオなのだ。僕も失業中の辛いとき、ラジオの優しさにずいぶんと救われた。

 こういったラジオと堀江氏の考えは全く合い入れないように思う。最もライブドアの本丸はフジテレビであり、この違和感は仕方ないものなのかもしれない。しかし、現実問題として、ライブドアがニッポン放送を持つ可能性が高くなってきている。フジVSライブドア、どちらが勝とうが負けようが、僕はあまり興味はない。だけど、それによって真面目に働いているニッポン放送の社員が苦しむのは見たくないし、ひとつのラジオ局が壊れるのも見たくない。

 これが、ただのマネーゲームなのかどうか僕にはわからない。両者に必要なのは戦いではなく、話し合いだし、もうその時期に来ているのではないだろうか。そしてニッポン放送の従業員の方々やラジオの前のリスナーにとっていい結論が出てくれればと思う。(2005.3.23)


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