ラジオとTV

 今週の火曜日と水曜日、体調を崩して仕事を休んでしまった。月曜日の夕方あたりから、熱っぽく体の節々が痛くなったのでまずいなと思っていた。無理すれば何とか行けそうだったけど、無理をしないのが僕なのだ。

 休むことを会社に連絡してふとんに体を横たえると、かなり疲れが溜まっているのがわかった。年の瀬だからといって1年の疲れが出るということもないと思うのだけど、だいたいいつも12月の後半になると、体調が悪くなる。肉体的なものというよりは、精神的なところから来ているような気がする。

 ふとんで寝ていると何となく手持ち無沙汰になり、久しぶりラジオをかけてみた。本を読むには物憂く、CDを聴くには体が疲れ過ぎていたからだ。失業していたときは、よくラジオを聴いていた。ふと、そんなことが懐かしく思い出されて、時間の壁が薄くなったような気持ちになった。

 ラジオというのはほとんどが聴取者参加番組になっている。聴取者からの葉書やFAX、メールなどがほんとによく読まれるし、かかる曲だってリクエストによる場合がほとんどなのだ。聴取者が参加することによって成り立つ番組が多い。また、読まれるFAXなどを聴いていると、聴取者の年齢層もそれこそ子供からお年寄りまでと大変幅広いのである。

 また、紹介される聴取者から送られたFAXなどの内容も面白いものが多い。いや、面白いというより可笑しみがあるといった方が的確かもしれない。何気なく送られた小学生からのFAXが、家庭での母親の人物像を滑稽に表現していたりして、何回もふとんの中で笑ってしまった。TVではこういうことは、ほとんどない。もともとTVでは視聴者参加番組が少ないうえ、数少ないそういう番組でも参加者の自主性は全くなく、全ては製作者の思惑通りにしないといけないからだ。お約束ばっかりなのである。

 よく考えてみれば、ラジオというのは不特定多数の人たちが聴いているわけで、その人たちから送られくる話しは多岐に及び、いろいろな“世の中”が見えて来る。それに比べればTVは、決まった人たちだけの閉じた世界であり、そこで語られることも、演じられることも、狭い価値観に縛られていて、全く退屈なものばかりになってしまうのは仕方ないことなのかもしれない。TVの中での世の中はカッコ付きの「世の中」なのだ。

 TVの中では経済不況や少子化問題、環境破壊や新型ウィルスなど「深刻な問題」が溢れている。だけど、ラジオの中ではそんなことは隅の方にちょっとあるだけだ。そんなことは、ほとんどどうでもいいことなのだ。もっと身近な関心事…個人々によってそれは違うだろうけど、そっちの方がはるかに大切だと思う。

 気持ちが疲れたときは、ラジオを聴くのがいい。普通の人の普通の生活がそこにはあって、ユーモアに溢れていたりする。(2004.12.18)




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