死に近づいた瞬間

 人生を何年も重ねていると、望むと望まざるとにかかわらず、死に近づいた瞬間というのが誰でも2〜3回はあるように思います。病気、事故、災害、自殺未遂、或いは殺害されそうになったとか、いろいろな場面が考えられます。私にもそんなことが数回ありました。そして、その最初は誕生のときでした。

 私は早産の危機にあったのです。秋に生まれる予定が、夏にはもう出かかっていて、このまま生まれたら死産か、生きて生まれても育たないだろうと医者に言われていたそうです。入院した母は、いろいろな薬で何とか抑え、予定日の2週間くらいまえに私を生みました。多種の薬を飲んでいたため、健康な状態で生まれるのだろうかと周囲の人は心配したといいます。幸いにして私は、2550gと未熟児ぎりぎりの状態でしたが、健康に生まれることができました。

 次ぎに死が私に近づいたのは、2歳のときでした。何でも私がトイレに初めてひとりで行ったときに、その事故は起きたそうです。当時、東京でも、水洗トイレは少なく、汲み取り式が主流でした。うちも汲み取り式で、水洗になったのは小学校に上がって、1〜2年経ってからのように思います。トイレから延びる水洗トイレの配管が、うちの物置に繋がる通路に埋められ、子供の力でも簡単に開けられる小さな鉄製の黒いマンホールが敷地内に設置されたものですから、私と弟は配管を流れるうんちを見たくて、誰かトイレに入るとその黒い鉄製のマンホールを開けて、汚物が流れてくるのを待っていたりしたのです。

 話しが横道に逸れてしまいました。初めてひとりでトイレに行った私はいつまで経っても、戻って来なかったそうです。それで同居していた叔母さんが心配してトイレにいってみるとそこに私の姿はなく、「もしや…」と思い糞尿が落ちる金隠しがはめ込まれた穴をのぞき込むと、そこに私がいたそうです。私はどうしてだかわかりませんが、トイレにいって、糞尿が溜まる汲み取り式の穴の中に落ちてしまったのです。

 もし、このとき糞尿がある程度溜まっていたら私はその中で溺れ死ぬという、とても成仏できないような最後になっていたかもしれません。運のよいことに、そのときは汲取り業者が来てまだ間もなかったので、それほど糞尿は溜まっておらず、私は体が多少汚れたくらいで済んだのでした。

 小学校6年生のとき、私はまた死に近づきました。しかも、それは母の手によって命を奪われた可能性があったのです。この年、父が病になりました。それは社会復帰が難しいと思われていた病でした。うちは自営業でしたので、父の病気は即、収入がなくなることに繋がったのです。専業主婦だった母は、将来に絶望しました。

 女手ひとつでふたりの子供は育てられないと考えた母は、弟が無邪気な寝顔を見せているすぐ横で、私に「3人で死のう」と一家心中を持ちかけたのです。私は烈火の如く怒り、「死ぬならひとりで死んでくれ。僕と弟は生きる」と強く言いました。この言葉は母の目を覚まさせるためでも、母を力づけるためでもなく、私の本心でした。

 母はしばらくして友人のスナックの手伝いに出るようになり、それから数年後、自分の店を持つまでになり、私と弟を大きくしてくれたのです。もし、あのとき私が母の言葉の同調したらどうなっていたのでしょうか?結果は同じだったような気もしますが、今となってはどうでもいいことです。

 そんな生への執着心が強い私が、自分で命を絶とうと思ったことがあります。19歳のときでした。大学受験に失敗した私は、高尾山で首を括って死のうと考えたのです。しかし、大学のある最寄りの駅から1区間歩いて次の駅で総武線に乗った私は、その車窓から雲の隙間から陽が街に落ちる光景をぼんやりと眺めているうちに、心変わりをしたのです。「生きていれば、そのうちいいこともあるのではないか…」とそんな単純なことを思ったのです。結局、自分には自殺する思い切りも勇気もなかったように思います。

 一番近いところではバイク事故がありました。30代前半の頃、帰りが遅くなりそうだったのと、ツーリング気分に浸りたかったため、自宅から約40Km離れた会社にバイクで休日出勤しました。帰りは案の定、遅くなりました。夜の国道は空いていて、冬でしたが気持ちよく、早く帰りたかったこともあり、ややスピードも高めになってしまいました。

 信号で止まった後、バイク特有の加速を発揮して単独で走っていますと、一番左のレーンに止まっていた数台の車のうち1台が、ウインカーも出さずに私が走っていた真中のレーンまで飛び出してきたのです。私はその瞬間「ぶつかる」と思いました。そして、そう思うと同時に何とかその障害物を回避するべく、一番右のレーンにバイクを逃がしたのです。車との衝突は何とか避けられましたが、急ハンドル・急ブレーキをしたバイクは安定性を失い、時速70kmで転倒してしまったのです。運が悪ければ、死んでいてもおかしくない事故でした。しかし、バイクは大破したものの、私はほとんど無傷ですんだのです。「運がよかった」としかいい様がありません。

 これ以降、重大な事故や病気といったものは私の側に近寄ってきませんでしたが、死にたいと思うようなことは度々ありました。しかし、自分自身でその一線を越えようとすることはありませんでしたし、また自分にそういった類の勇気がないこともわかっています。

 私自身の人生の中で、死に近づいた瞬間はだいたい以上のものです。こうしてみると、大して近づいていないようにも思えます。一番危なかったのは、汲取り式の便所の中に落ちたときでしょうか。しかし、私は運の良さに救われました。この運の良さ―死んでいてもおかしくなかったが、生きている―ということを考えるとき、宗教的になることもできます。神は何故、私の命を奪わず、生かしたのだろうというわけです。また、生きている意味ということに思いを馳せたりします。

 しかし、大して宗教的でない私には生きていることに大した意味があるとは思えません。生きているというのはただ単なる状態です。そして、その意味は自分で勝手に考えればいいと思うのです。長い時間かけて、生きている意味を見つけ或いは考え、人生に何がしかの価値を見出すしかないように思うのです。またずっと探し続けて、それが見つからなくて終わったとしても、それはそれでいいようにも思います。少なくても何も探さなかった人生よりは。(2005.2.2)


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