無限大の時間

もうだいぶ前の話になってしまうが、19歳の時、自殺しようと思ったことがある。当時、僕は一浪していた。家の経済状態や自分の気持ちの中で二浪をすることはできなかった。そして飯田橋にある志望大学の入学試験に落ちたら自殺をしようと思っていたのだ。試験に落ちてしまったらその後のことは何も考えられない。無になってしまう。だから自分の存在も無にしてしまおうと思った。何の迷いもなかった。

何処で自殺をするかも決めていた。東京の西部にある高尾山という山だ。東京近郊の人ならよく知っていると思うが、標高600m足らずで猿山などもあり、ハイキングをするには恰好の山だ。健康的なハイカー達で溢れる真に自殺を決行するには不向きな山なのだが、僕にはそこしか思い当たらなかったのだ。できれば死体を発見されたくなかったので、ハイキングコースから山中?に分け入り首を吊ろうと考えていた。

2月の合格発表当日、雨は降っていなかったと思うが、曇っていて寒い日だったと記憶している。首を吊るためのヒモは用意していなかったが、ズボンのベルトを使えばいいと思っていた。合格の自信はあまりなかった。可能性としては半々くらいだろうと思っていたのだ。最寄の飯田橋駅でJRを降り、大学に向かい、大学構内にある合格発表が貼り出されている掲示板の前に立ったが、そこに僕の名前はなかった。

軽いめまいを覚えたが、僕は計画通りにしようと思った。飯田橋駅から高尾山まで切符を買い、総武線・中央線と乗り継いで行こうと思った。だが、僕の足は飯田橋の駅には向かわず、大学から出て飯田橋とは反対方向にある1区間先の市谷に向かったのだ。自殺する決心をして家を出たのにその決心が揺らぎ始めた。もうちょっとだけ考える時間がほしくなり、その時間をかせぐために1区間先にある市谷駅に向かって歩き始めた。飯田橋から市谷まではかなりの距離があるが、歩いていても頭の中の整理はできず、ぐちゃぐちゃという感じだった。そしてはっきりとした結論がでない状態で市谷駅の切符売場に着いてしまった。

切符を買う時も何処まで買うかなかなか結論がでなかった。何も高尾山までの切符をここで買わなくても、現地に着いたら精算すればいいと思い、とりあえず一番安い料金を自動販売機に投入した。
電車に乗り、ドアの横に立った僕はガラス越しに東京の街並みをぼんやりと見ていた。天気は少し回復してきたようで空が明るくなったような気がした。やや明るくなった空の下に広がる街並みをみていて、自殺は止めようと思った。ありきたりにいってしまえば生きていれば何かいいことがそのうちあるだろうと思ったのだ。これからの自分の人生にはまだまだたっぷりと時間ある、無限大ともいえるくらいの時間がある。きっといつかいいこともあるだろうと思った。受験に失敗したくらいで自殺をしようとしていた自分がちっぽけに感じられた。それに僕には自殺するだけの勇気はもともとなかったと思う。
家に帰った僕は布団の中にもぐって、思い切り泣いた。(2003.5.13)


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