豊かな国の貧乏旅行者

 12月26日現地時間午前8時、インドネシアのスマトラ島北端沖で起きたマグニチュード9.0の地震によって発生した大津波は周辺諸国に多大な被害を与えた。スリランカ、インドネシア、タイ、インド、マレーシア、モルディブ、遠くはソマリア、ケニア等の東アフリカ諸国までインド洋に面した13カ国で現在判明しているだけでも死者は15万人に及んでいる。また、時期的にもクリスマス、年末・年始の休暇シーズンにあたっていたため、欧米及び日本からの観光客も多く犠牲になっており、今日現在日本人の死者は23人、所在不明者は250人に上っているらしい。そんな中、個人旅行者の実体はまだ掴めていないようで、その中でも長期海外旅行者、いわゆるバックパッカーが話題になっていた。

 僕は未だに、これほど多くの人がバックパッカーとして海外を旅行しているとは意外だった。こういう旅行のスタイルは60年代後半〜70年代前半がピークで、その後は衰退していると思っていたからだ。現に同じ性格を持つ北海道のバックパッカー旅行者は自転車やバイク旅行に変化していき、その自転車・バイク旅行者も以前に比べれば、明かに減少している。確かに海外バックパッカーもピーク時に比べれば大幅に減少しているのだろうけど、今なお存在していてかなりの人数がいることを確認することができた。

 もちろんバックパッカーは日本人だけではない。アメリカ、フランス、イギリス、ドイツなど欧米人も多数いる。しかし、世界的に見れば米・欧・日がそのほとんどを占めていて、経済的に貧しい国に住んでいる人がバックパッカーとして海外旅行しているということはほとんどない。そういう国に住んでいて海外旅行できるのはほんの一部裕福な人間に限られるだろうし、それらの人間は決して貧乏旅行などしないからだ。貧乏旅行ができるのは豊かな国に住んでいる証なのだ。

 そう、豊かな国に住んでいなければ、貧乏旅行はできない。豊かな国と貧しい国の経済格差により、日本ではそれほど大した金額ではなくても、東南アジアやインドでは大金になり、安宿を転々とすれば数ヶ月くらいは楽に暮せてしまったりする。日本で短期のバイトでもして、気が向いたら海外に出かけ、安宿を泊まり歩き、数ヶ月ときによっては年単位で旅行を続けることも難しくはないのだ。

 僕らが海外で長期の旅行ができるのも、第2次世界大戦後、日本人が勤勉に労働してきたおかげで、そうするための僕ら自身の努力は先人がつくってくれた基盤の上にわずかに乗った埃程度のものだ。

 僕は毎年、夏には北海道を旅行している。自分では慎ましい旅行だと思っていた。確かに旅行に使うお金は少ない。それは海外に長期旅行するバックパッカーと変わらない。無料または料金の安いキャンプ場を泊まり歩き、米を持参して夕食はほとんど自炊、お金のかかる観光地には全く立ち寄らない。しかし、観点を変えればバイクに乗り、テント、寝袋等のキャンプ用品を一式持ち、それなりのアウトドア用の服を着ている。これで慎ましいのか、これで貧乏旅行といえるのか、僕にはわからない。

 沢木耕太郎氏の著作の中に‘深夜特急’という本がある。氏が若い頃、ユーラシア大陸を乗合バスで横断し、ロンドンまでの行程を著した旅行記だ。その中で、バンコクのホテルに泊まったとき、そこのボーイにしつこく女をすすめられ、「金がない」と断り、彼の怒りを買った場面が出て来る。その箇所を引用する。これが、上の僕の疑問に対する答えの1つかもしれない。
‘(金がないと断り続ける氏に対してボーイは)
「トーキョーからここまで、何に乗って来たんだよ」
飛行機です、と私は呟くように言った。
「飛行機で来て、金がないだって?」
恐らく、彼はこう言いたかったのだ。
よその国に、飛行機に乗って遊びに来て、金がないなんて台詞が通用すると思ってんのかよ、おまえ。ふざけるんじゃない…。
 彼の憤りももっともだった。私はこれまで、金がないということで何度も人の親切を受けてきた。
(中略)しかし、仕事でもなく、勉学でもなく、ただほっつき歩くためだけに異国に来ている若僧が、俺には金がないなどという台詞を吐いたら、それはずいぶんといい気なものではないか、と思われても仕方ないことだったのだ。(中略)まして、その国で必死に働いている同じ年頃の若者にとっては、ふざけるなのひとことくらい言ってみたい台詞だったろう。
(中略)
 私は旅に出て以来、ことあるごとに「金がない」と言いつづけてきたような気がする。だが、私は少なくても千数百ドルの現金があった。これから先の長い旅を思えば大した金ではないが、この国の普通の人々にとっては大金というに値する額であるかもしれない。私は決して「金がない」などと大見得を切れる筋合いの者ではなかったのだ。’

 今、働いている会社には中国の人やペルーの人がいる。彼らは日本人と結婚している人以外は、ほとんど例外なく、2つ以上の仕事をしている。朝10時から夕方の5時までは今の会社で、夕方6時から深夜2時までは、飲食店でという具合にだ。自分の生活費を稼ぐだけなら掛け持ちせず、1箇所だけで何とかなるだろう。そこまで働いているのは、自国に住んでいる家族に送金するためだ。恐らくその金は日本では大した金額ではないだろうが、彼らに故郷ではかなりの金額になるはずだ。ある程度の金が貯まれば、彼らは自国に戻っていく。送金した金で家を建てたなどという話も聞いたりする。そんな彼らを見て、うらやましがる日本人もいる。

 しかし、僕らと彼らとどちらが恵まれているかといえば、それは僕らであることも確かなのだ。僕らは海外に遊びに行き、彼らは海外に働きに行く。僕たちは日本に住んでいるということだけで、十分に恵まれている。にも、かかわらず幸福感があまりない、何かが足りない気がする。若者たちは、それを探して今日も海外の安宿を泊まり歩いているのだろうか。そして、それを見つけることができたのだろうか。(2005.1.10)


皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT