変えられる未来、変わらぬ過去 (前編)

 正社員を辞めてしまった理由はいろいろあった。その中で一番大きかった理由は、未来を失うことの怖さだった。あと数年、正社員として働けば、僕はもう会社を辞めようとしなくなるだろうと思った。辞めたいのに、辞められないという状態に陥るのが怖かったのだ。そんな精神状態で、二十数年も耐えられる自信がなかった。明かに会社員に向いていない自分が、曲がりなりにも何とかやってこられたのは、「いつでも辞めてやる」という気持ちで働いていたからだと思う。

 その気持ちがなくなり、「もう辞められない」という心持ちになったとき、それは非常に息苦しい閉塞間に包まれるのではないか…そんな予感があった。それに、多少の幅はあるだろうが、未来はある程度決まってしまう。僕は、それを回避したかったのだと思う。それが、世間的にみたら馬鹿げた行為であることは、わかっていた。しかし、僕は決まってしまいそうな未来を、曖昧なまま残しておきたかったのだ。

 その後、紆余曲折はあったが、何とか当初の望みであった「収入は落ちてもいいから、アルバイトやパートといった時間的に余裕が持てる仕事」に就くことができた。その紆余曲折のところは何回か書いたことがあるので、今回はその後のことをできるだけ率直に書いてみたいと思う。

 一昨年の9月中旬からパートで仕事を始めた。この会社の正社員ではない勤務形態はアルバイトとパートがあるのだけど、違いは未だにわからなかったりする。僕自身、勤め始めてしばらくの間、自分はアルバイトだと思っていた。コンピュータに入力されているコードを見て、自分が初めてパートだということを知ったのだ。どうも、アルバイトは臨時、パートは常用という感じらしいが、窺い知れない理由もあるような気がする。

 パートといっても月〜金の週5日の勤務、時間は当初9時〜17時でたまに残業という形になると思っていたのだけど、「残業はできます」と言ったことから、9時〜最後までということになってしまった。この最後までというのが、初めはよくわからなかったのだけど、‘その日の仕事が全て終わるまで’ということだった。当時は時給900円だったので、9〜17時までの7時間勤務だと1日6300円、月21日勤務として132300円、したがってそれは僕にとっても歓迎するべきことだった。

 働き出してみると、サービス業ならではのいろいろなことがわかってきた。僕は祝日を休みということにしてもらっていたが、社員にとっては祝日も関係なく、土曜日もほとんど出勤、さらに日曜日も交代で勤務していた。ではいつ休むのかといえば、繁忙期でも比較的仕事が暇な木曜日・金曜日に振り替えていた。これはパートさんで土曜日に出勤する人が少ないためでもある。したがって、本来は隔週で休める土曜日の出勤率が高くなってしまうようだった。

 僕も面接の時には、忙しければ毎週は無理だが土曜日の出勤もできると言っていたのだけど、実際に働いてみると残業が意外と多かったため、土曜出勤しなくても何とか生活できる見通しがたったので、その辺は誤魔化すことにした。ただ、初めは無条件で休んでいた祝日は、忙しい月・火曜日と重なった場合はできるだけ、出勤するようになった。仕事はそれほど難しくはなかったのだけど、思ったより体力を使うものだった。しかし、体は徐々に仕事に適応していった。問題は心の方だったのだ。

 勤務して1ヶ月も過ぎると、仕事にも慣れ、職場の人間にも慣れた。それとは反対に心の方は虚しい気持ちが強くなっていった。それは仕事や職場に慣れ、心に余裕が出たため、徐々に別のところに関心が移っていったせいだと思う。それほど責任もなく、指示された作業を黙々とこなし、終われば家に帰る仕事は気楽だった。納期を気にすることも、顧客の苦情を心配する必要もなく、ただ目の前の作業に集中していればよかったのだから。しかし、その気楽さというのは反面、充実感を奪っていた。

 正社員の頃は常に納期や製品の品質に追われ、両者を天秤にかけたりして悩んだりしていた。さらに営業の人との駆け引きやアルバイトの使い方や教育など、頭を痛めることも多かった。それはある意味、非常なストレスを生んでいたが、その一方で充実感があり、そのことに面白さを感じていたことも確かだったのだ。仕事に奪われていたエネルギーを別のものに使いたい、しかし実際にそういうことができる立場になってみると、また疑問が浮かんできてしまう。人間とはほんとに厄介なものだ。

 変わりばえのしない単純な作業への虚しい気持ちは日に日に強くなっていった。そして、それは正社員時代に感じていた閉塞感と並ぶくらい強い虚無感になっていった。これが世間一般でいわれているプライドというものなのかもしれない。気楽に働きたい、その願いが叶い気楽な立場にはなれた。しかし、その気楽さに付随するものがあることはわからなかった。いや、頭ではわかっていた…というより、わかっているつもりになっていた。しかし、想像と現実はだいたいが違うものなのだ。

 物事はだいたい一面ではなく、いろいろな面を持っている。辛さも、辛さだけではない面があるように、気楽さにも、また気楽さだけではない面を持っている。僕の心はその別の面に囚われてしまったようだった。そうなると、ますます虚しさが募り、仕事を始めてから2ヶ月くらい経ったある日、大して体調が悪いわけでもないのに会社を休んでしまった。

 僕の中にはできるだけのんびりと気楽に暮したいという思いがある一方、土日だけの人間になりたくないという仕事に何かを求める気持ちもあり、その2つは未だに葛藤している。そして、‘隣の芝生は青く見える’の喩えのように、そのどちらかに近寄ると反対側がよく見えてきてしまうのだ。

 仕事を充実させたいという思いが強くなったが、僕は会社を辞めようとは思わなかった。年を重ねたためか、積極的に動くというより、じっくりと自分の気持ちと対話して時を待つといったことを選んだ。ふてぶてしい人間になっていたのである。しかし、虚しい気持ちは続き、そのたびに会社を休んで一息ついたりした。だけど、それは緊急非難的な方法に過ぎなかったのだ。

 年が変わった後、虚しさはさらに強くなった。自分の気持ちの整理をつけることができなくなってしまった。どうしようもなく、ふとんから起き上がる気力も出なかった。それまでは、1日休んだだけで何とかなっていたが、このときは3日連続で休んでしまい、土日祝を合わせて6連休してしまった。そして、世間的には3連休明けの火曜日、朝になってもまだ会社に行こうか、それとも休もうかとうじうじ考えていた。もし、この日仕事を休んでいたら、自分はそのまま会社を辞めていただろう。つづく…(2005.2.16)


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