10月31日未明、バグダット市内で星条旗に包まれたアジア人の遺体が発見され、それが27日、イラク・アルカイダ機構と名乗るグループに拘束された香田証生(24)さんと確認された。 香田さんは昨年10月、それまで勤めていた自宅近くの塗装会社を「やりたいことがある」という理由で辞め、今年の1月ニュージーランドにワーキング・ホリデーで渡った。そして、英語の勉強をするかたわら、果実園などで働いていた。アパートの同居人の話しによると、ニュージーランドは香田さんにとって平穏過ぎ、面白いことを期待して来たが、満足していなかったようだ。 9月までニュージーランドに滞在した後、香田さんはイスラエルに旅立つ。そして10月半ばまでイスラエルに滞在し、18日、イラクの隣国ヨルダンに入った。19日、ヨルダンの首都アンマンにあるクリフホテルに白いTシャツに半ズボン、小さなリュックという軽装でやって来て、宿泊した。そしてホテルの従業員に「今すぐにイラクに行きたい」と言ったという。 同ホテルには映画監督の四之宮浩さんが同宿していて、香田さんは四之宮さんにも「イラクに入り、サマワに行きたい」と語ったという。ホテルの従業員と四之宮さんは「やめておいたほうがいい」と思い止まるように説得したが、香田さんは「あの国で何が起きているか知りたい」と言い、20日の午後5時過ぎ、周囲の反対を「なんとかなりますよ」と押し切って、バグダット行きの長距離バス乗り場に向かった。この時の所持金は100ドルくらいで、イラクに5日間滞在する予定だったようだ。 バグダットに21日の午前11時半に着いた香田さんはホテルを探し始める。ボルジュアラブホテル、カサブランカホテル、アガディールホテルなどで相次いで断られ、カンディールホテルでは料金が高かったために宿泊しなかった。 23日の午前、公営バス会社の事務所を香田さんは訪れ、「今日中にアンマンに行きたい」と事務職員に言ったが、その日はアンマン行きの便が運行されていなかったため、事務員が翌日の便の予約を勧めたが憔悴しきった様子だったので、心配した運転手がアンマン―バグダッド間などを走るタクシーが集まる別の地区の一角まで車で連れていこうと申し出た。香田さんは「所持金が20ドルしかない」と言って、これを断ったという。 事務所を出た香田さんはバスターミナルの方向に歩いて行き、正門を出ようとした辺りで、それまで事務所の外をうろついていた20代くらいの若い男性2人組に声をかけられる。それまで暗い表情だった香田さんは急に明るい顔になり、2人と英語で談笑していたという。そして、この2人に付いて行き、黒塗りの高級車に乗り込んだ。これ以降、香田さんの足取りは途絶えた。そして27日の未明、 「イラク・アルカイダ機構」がウェブサイトで、日本人男性1人を人質にしたとするビデオ映像を配信し、そこに香田さんの姿が映し出されることになる。 これまでイラクで人質となった日本人はそれぞれ、イラク入りする明確な理由があった。しかし、香田さんについては、それを伺わせるようなものはない。何故、香田さんはあれだけ危険と報道されているイラクに行ったのだろう。 香田さんは高校を2年で中退した後、通信制のNHK学園で学び卒業、福岡市の建設専門学校を経て、2001年に自宅近くの塗装会社に就職している。ここで働きながら、英会話やパソコンの教室に通い、スポーツジムで体を鍛えていた。そして2002年10月、ニュージーランドに渡るのである。自分探しの旅ということだったらしい。 僕は前に、「自分探しの旅というものは大変困難で、ある意味危険ですらある」と書いたことがある。それは今回のような事件が起こるということを予測していたのではなく、自分などというものは簡単に見つかるものではなく、底無し沼に入りこんだような状態になってしまい、やがて自分の生命にさえ無関心になってしまう場合があるということを言いたかったのだ。 香田さんが、どのような事情で高校を2年で中退してしまったのかは推測の域を出ないが、その後の行動を見ていると、既存の教育に何らかの失望を感じ、自分で船を漕ぎ出したかのような印象を受ける。英会話、パソコン、スポーツジムは正に自分探しの旅のステージであり、道具だったと思う。地元の会社に就職した彼だったが、そこでも自分を見つけることはできなかったのだろう。もともと旅行好きだった彼が海外に向かって行くのは当然のように感じる。 そしてニュージーランドで本場の英語を学びながら、果樹園で働くといった生活に入る。しかし、彼にとってニュージーランドはあまりに平和で退屈だったようだ。ここでも自分を見出すことができなかった彼は、さらに過激になっていき、もっと自分の心に突き刺さってくるような強い刺激を求めはじめる。そして、その強烈な体験によって、自分を見出そうと考えたのかもしれない。「自分の将来について考えようとしていたのではないか」と彼がイラクに入った理由を彼の両親が語ったが、この推察は正しいように思う。 ニュージーランドより刺激が強いところなどはいっぱいあり、別にニューヨークなどでもよかったのではないかと思うが、人間は天国に行きたいと思う反面、地獄を見たいという気持ちもあるのだ。ハワイやグアムといった天国よりも、インドやその周辺の諸国、或いは南米の国々などといったやや恐ろしさがあるところに若者が引き寄せられるのもそういった気持ちがあるからだ。そして今、日本で知られる最もポピュラーな地獄はイラクなのだ。 香田さんに、深刻な気持ちはなかったのではないだろうか。テレビに映し出されるイラクは地獄ではあるが、「なんとかなりそうな」地獄に見えたのだろう。それまで5人の日本人がイラクの武装勢力に拘束されたが、比較的簡単に解放されたというのも彼の判断を甘くした材料だったかもしれない。 100ドルのお金しか持っていかなかったというのは、とにかくイラクに入って、さっと引き上げるつもりだったようで、そう考えると、強い刺激による自分の発見という「自分探し」よりも、非日常の地獄を見たいという「単なる好奇心」の方が強かったのかもしれない。 強い刺激を受け自分を見つけたいという気持ちと、この世の地獄を見てみたいという好奇心が彼に、この無謀であさはかな行動をとらせてしまったように思う。このふたつの気持ちによって、自分の生命に対する関心が薄くなってしまったのだろう。安易といえばあまりにも安易ではあるが、それだけに残念でならない。もし彼が生きてイラクを出国できたなら、何かを見出せたのだろうか?それは、今ではもうわからなくなってしまった。(2004.11.12) |