T君と最初に北海道に行った年の冬に、ぼくは自動二輪免許をとり、すぐにバイクを買った。ホンダのAX−1というバイクだ。初めてバイクに乗り、ぼくは自由を感じた。大袈裟に言えば、自分に翼が生えたような感覚がした。自転車のときに感じた「何処までも行ける」という感覚は観念だったが、それがにわかに現実性をもった感覚として実感されたのだ。しかし、ぼくは翌年の夏、バイクで旅行に行くことより、T君といっしょに北海道旅行をえらんだ。バイクで北海道に独りでいくことが、不安だったからだ。 今度はフェリーを使って釧路に自転車とともに上陸した。前回のけんかはT君だけに問題があったわけではなく、ぼくが立てた計画をT君が納得していなかったことが要因だったこともわかり、この2回目の北海道ちゃりんこツーリングはほとんどT君に計画を立ててもらった。そのせいかどうかわからないけど、前回のような対立は起きなかった。しかし、ふたりで長期の旅行というのは難しいものだなということが実感された。 よく考えてみれば、ほとんどの時間いっしょにいるわけで、お互い何気なくやっていることでも、だんだんとそれが癇にさわり出すようになる。例えばT君はぼくののんびりとしたところに腹が立ったようだし、ぼくはT君のこだわり過ぎの性格がいやになったりした。 そして、それが決定的になったのが、木曽路徒歩旅行のときだった。この時は電車で木曽に向かい、落合宿から馬篭−妻後−南木曽、そして薮原−奈良井を歩いて旅しようというもので4泊5日の行程だった。この年の春に会社を辞めたぼくはその直後にバイクで信州を約2週間かけて旅したのだが、そのとき木曽が気に入り、T君を誘ったのだった。この旅の最終日、おみやげ物屋でT君が会社へのおみやげを決めかねていたのを、ぼくが皮肉ったのが原因で帰りの電車では全くお互い口をきかなかった。普段は何でもないようなことでも、旅も後半になり精神的・肉体的に疲れてくると必要以上に反応してしまうようである。 しかし、この年の夏もぼくはT君と蔵王や桧枝岐などに5泊6日の旅に出たりしている。さらに秋にかけて、白根・美ヶ原1泊2日、川上村・野辺山2泊3日、銚子・犬吠埼2泊3日といっしょに旅行した。さらに晩秋にひとりで遠野に柳田国男の「遠野物語」ゆかりの地を巡る旅をしたりした。この年がぼくの旅のピークだった。この年がピークになったのには理由がある。ぼくが免許をとり、車を買ったのだ。そのため、T君との溝は広がりつつも、カモフラージュされていた。 翌年、ぼくは2社目の会社を春に退職した。そして2週間くらいの予定で車に乗って東北・北海道に旅に出た。4月の下旬に家を出発して桜前線の北上に合わせて、ぼくも北上した。北上、弘前、そして北海道の松前で満開の桜を見ることができた。当初、日本最北端の宗谷岬に着いたら、一気に家に帰り就職活動をする予定だったが、このほとんど計画がない旅はぼくの体質に合っていたらしく、いつまでも放浪を続けたくなったのである。それまでのぼくの旅は、T君といっしょのことが多く、またひとりのときでもかなりきっちりとした計画に基づいていた。しかし、この旅行によってぼくの旅のスタイルは大きく変わっていった。計画よりも感性や偶然が優先されるようになったのである。 この旅行にぼくは約25万円のお金を持って出た。始めは2週間で帰るつもりだったので、旅館などに泊まっていたが、旅の半ばからは車の中で寝泊りするようにして、お金を節約した。そして2週間の予定だったのが、約1ヶ月の旅になってしまったのである。さらにこの年は、旅行から帰って会社に就職したものの3日で辞めてしまい、長野の農家に住み込んで2ヶ月間働いたりして、ぼくは日本全国を放浪しながら生活したいと夢想していた。そして、長野から帰った後、今度は沖縄に行き、唐きび農家で働こうと思っていたのである。この全く思いつきによる計画は親と当時付合っていた彼女の大反対にあい、ぼくは再び東京で仕事を探すことになった。秋には気分転換に、T君と好きな遠野に旅行したりした。そして、11月になり、ぼくはやっと新しい会社に就職できた。 東北・北海道約1ヶ月の旅の後しばらく、車で寝泊りしながら旅をするというのがぼくのスタイルになった。翌年の函館旅行のときも函館公園の前に車を止め、そこで寝泊りしながら、函館の史跡を周ったりした。この旅行は当時つきあっていた女性のために行ったものだった。彼女は新撰組のファンであり、ぼくは土方歳三終焉の地とか函館戦争の史跡を周り、写真におさめたりして彼女の資料作りに協力したのだ。これはぼくにとって初めて他人のために行った旅であり、これ以降もこういうことはなく、今まで唯一のことだ。 そしてこの年の晩秋、T君と甲子温泉に行った。甲子温泉は日本秘湯を守る会にも登録している趣きのある温泉で、紅葉の時期は過ぎていたけど、それがかえって幸いして泊り客も少なく、ゆっくりと湯を楽しむことができた。しかし、T君とぼくでは旅に求めるものの違いがこの頃はっきりと現われていた。T君はせっかく旅行に出たのだから、できるだけ多くのものを見ようと考えていたのに対して、ぼくはせっかく旅行に来たのだからできるだけのんびりしたいと思うようになっていたのだ。この旅行以降、T君との泊まりでの旅はしていない。 翌年のGWにぼくは生まれて初めて九州地方を旅した。このときも車での旅で、基本的に車中泊だった。しかし、九州は雰囲気として関東地方と近い感じで、東北や特に北海道のように何処でも泊まれるという土地ではなかった。そのため、寝場所を求めて深夜、不慣れな土地をさ迷うということが何回かあった。馬が放牧されている都井岬とか、異国情緒溢れる長崎とか、いい場所はいっぱいあったが、あまり楽しい旅ではなかった。この旅でぼくは車での旅に限界を感じた。特に車の中で寝泊りするとなると、ほとんど土地の人と話す機会がなくなり、ただ、生活圏から離れた場所を車で走るだけという旅になってしまう。車での旅は快適ではあるが、何かが足りないと思った。 そして、夏、ぼくはバイクを約2年振りに整備して、テントや寝袋といったキャンプ用品を買い、北海道ツーリングに行った。このツーリングは面白かった。全工程、キャンプで自炊という形にしたため、キャンプ場でいろいろな人と出会うことができたのである。会社とかでは、どんなに変わっている人といっても、所詮は井戸の中での人付き合いであるが、全く違う価値観を持った人たちと会えたことは、ぼくを大きく刺激した。 翌年、四国に車で旅行に行ったが、車中泊するということはなかった。ぼくには、もう車中泊は苦痛なだけになっていた。旅館でTVを見たり、ふかふかの布団に眠りたいといった即物的な欲求と、旅館の人とかと人間的なふれあいをしたいという精神的欲求があったのだ。そしてこの年の夏もまたぼくはバイクで北海道ツーリングに行き、これが毎年の恒例行事のようになっていった。バイクもオンオフ関係なく行きたい場所に行けるバイクということで、オフにやや難のあるAX−1からセローに買い換えた。そして、その中身はこの10年で全く違ってきた。 始めの頃、ぼくはしっかりとした予定を経て、1日に走行する距離まで調べて旅をしていた。旅の途中で楽しい偶然や気に入った風景に出会っても、自分の計画の範囲内から出ないようにしていた。バイクでの旅にまだ慣れていなかったせいだと思う。しかし、徐々に計画など、どうでもよくなっていき、車のとき以上に自分の感性や偶然を優先させるようになった。例えば走っていていい風景に出会えば、そこで心ゆくまでのんびりしたり、場合によっては走るのを止めて、そこにテントを張って泊まったりした。気の合った人に出会ったら、いっしょに行動したりした。もちろんそういったことは、そんなに起きない。だから、大切にしたいと思うようになった。 今ではぼくの旅は旅行というより、放浪に近いように思う。何の予定もなく、風の向くまま、気の向くまま。これから、どうなるのかはわからない。今、考えているのは、滞在型の旅をしてみたいということだ。気に入った土地に気が済むまでいたい。そんなことを夢想している。(2004.11.7)
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